美空ひばりさんは「聞」 島倉千代子さんは「書」 戦後歌謡の女王2人の秘蔵エピソード

2020年09月01日 11時00分

日本を代表する歌手だったひばりさん。その歌声は現在も人々の心に生きている(1976年11月、帝国劇場で)
日本を代表する歌手だったひばりさん。その歌声は現在も人々の心に生きている(1976年11月、帝国劇場で)

 1989年に亡くなった大スター、美空ひばりさん(享年52)の最後を支えるなど数々の歌手のヒット作に携わってきたプロデューサーの境弘邦氏(83)が、本紙のインタビューに応じた。ひばりさんが見せた信じられない“神業”や、生涯最後のシングルとなった不朽の名作「川の流れのように」の誕生秘話を告白。また、ひばりさんと同じく戦後の日本を象徴する歌手、島倉千代子さん(享年75)の知られざる姿を明かした。

 境氏は1959年、レコード会社の日本コロムビアに入社。多くの歌手の作品に関わり、中でも78年から89年までひばりさんの総合プロデューサーとして活躍した。先日、著書「昼行灯の恥っ書き 美空ひばりの最後を支えたプロデューサーの手記」を出版した。

 ひばりさんについて「面倒見が良くて、日頃は優しい人ですね。スタッフをものすごく大事にする人なんですが、誰にも負けない歌を歌いたいという気持ちがあるので、スタッフにも誰にも負けないでよと。衣装を着たら別人です。プロというのはそういうものなのだと思います」。

 10年以上にわたって一緒に仕事をしたからこそ知るひばりさんのすごさがある。「ひばりさんは耳がいいんです。超人的にいい。なぜあんなに素晴らしい歌が歌えるのかというと、全部耳で聴いちゃうんですよ」

 ひばりさんの“耳”に関する思い出は数え切れないほどある。今は閉館した新宿コマ劇場でショーを行っていた時だ。61年発売の「車屋さん」に合わせてステージに登場すると、観客席は大盛り上がり――。しかし、ひばりさんはある異変を指摘した。「イントロと歌の間にノイズが入っているので歌いづらい」と。

 その日の公演後、境氏や音響スタッフは客がいない静かなステージに立ち何度も聞いたが、ノイズをキャッチできず。ただ翌日もひばりさんから同じ指摘が入ったので、今度はコロムビアのスタジオに持って行って専門家と何度もチェックしたが、結果は同じだった。

 そのように報告したが、やはりノイズがあると言われ、4日目にはとうとう「場所まで指摘しているのに、あなたたちはどうして分からないの」と怒ってしまったという。慌てた境氏は再びスタジオに持って帰り、ギターやドラムなどの音を分解して確認。そのうちの1か所にスタジオブースのドアノブの「カチッ」という小さい音が入っていたことが判明した。

 専門家は「この音が絶対に聞こえるわけがない」と言ったが、それでもその音を取り除いて本番に臨んだところ、ひばりさんは「ノイズが取れた。歌いやすかった」と笑顔だったという。「こんな神がかり的な話がありますかと。神業です」と、境氏には今でも強烈な記憶として残っている。

 ひばりさんだけではなく、2013年に亡くなった島倉千代子さんの「鳳仙花」などの作品にも関わった。

「島倉さんは書くんですよ。譜面にここは強くとかビブラートとか細かく赤で書いていくんです。書いて自分のものにしていっちゃうんですよ。ひばりさんは聴いて自分のものにしていっちゃう。本当に対照的ですよ」

 島倉さんの最後のシングル「からたちの小径」は、亡くなる3日前に自宅でレコーディングした。「『からたちの小径』の譜面にも真っ赤に書いてるのです。もうあと何日、余命何日かの時も全部赤で書いてるんです」

 戦後の日本で輝いたひばりさんと島倉さん。2人をよく知る境氏は「スーパースターと言われた2人なんですけど、半端じゃなく努力、勉強をしていました。命ギリギリまで勉強していました。2人に共通しているのはやっぱり歌では負けたくないという気持ちですね」。持って生まれた才能、そして隠れた努力があったからこそスターとして多くの人から支持を受けたのだ。

 ☆さかい・ひろくに 1937年3月21日生まれ。熊本県出身。59年、日本コロムビア入社。78年から89年までひばりさんの総合プロデューサーとして活躍。他にも島倉さん、都はるみ、石川さゆりら、多くの歌手の作品に関わり、ミリオンヒットを連発した。92年に独立し、長山洋子らの制作を担当している。

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