97歳で大往生・内海桂子さん 驚異の不死身エピソード「階段から転落、右手首粉砕骨折も…」

2020年08月28日 11時30分

階段転落で骨折事故から約1か月半、元気に豆まき(06年2月)

 97歳の大往生――。大正時代に生まれ、昭和で女性漫才師として活動を始めて80年以上…。「内海桂子・好江」のコンビなどで一世を風靡した内海桂子さんが多臓器不全のため都内の病院で死去していたことが28日、所属事務所から発表された。22日午後11時39分に永眠。通夜・葬儀は近親者のみで営まれた。漫才協会会長も務めたお笑いの大御所は、事務所後輩のウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)やナイツ(塙宣之、土屋信之)ら多数の芸人に影響を与えた。

 現役最年長漫才師として奮闘してきた内海さんは1月、歩行困難になるなど体調を悪化させて入院した。24歳年下の夫でマネジャーの成田常也氏に作業を委ねていたというツイッターも、連日の更新が4月14日付で途絶えた。最後の投稿はコロナ禍で苦しむ小さな店を心配する内容だった。

 内海さんは関東大震災前年の大正11年(1922年)、東京で生を受けた。所属するマセキ芸能社の公式サイトによると38年、高砂屋とし松とコンビで浅草橘館に漫才初出演。50年に13歳半年下の内海好江さんと「内海桂子・好江」を結成し、58年にNHK漫才コンクール優勝を果たす。61年に大衆芸能部門で芸術奨励賞に輝くと、82年に芸術選奨文部大臣賞、87年に日本放送演芸大賞功労賞を受賞。三味線を肩にかけ、時事ネタを取り入れたテンポある漫才で人気を呼んだ。95年には勲四等宝冠章も受章している。

 相方の好江さんが97年に死去後、98年から2007年まで漫才協団、漫才協会の会長を務め、青空球児に引き継がれた。

 漫才のほかにテレビでもドラマ、トークやバラエティー番組、映画にも出演。幅広い活動はリポーターや講演会の講師にも及び、10年前に始めたツイッターはまめな更新でフォロワーが49万人に達し、最近は“90代のつぶやき”などと注目されていた。

 50年に設立されたマセキ芸能社の所属第1号が桂子・好江だったとされる。現在多数のタレントを抱える同社にはウッチャンナンチャンやナイツら多数の人気者が名を連ねる。ウッチャンこと内村はNHK紅白歌合戦の司会を連続して務めるなど日本を代表する芸人の一人になったが、同事務所に所属するに至ったのは、桂子・好江コンビの介在があったという。ナイツの塙と土屋は漫才協会の役員も務め、ウッチャンナンチャンの2人ともども「桂子師匠」とは師弟のような関係でもあった。

 ツイッターのプロフィルには「体の右側はゲタ骨折、大腿骨折、右乳がん、右手首骨折、右目緑内障と大体やられています。でも舞台で踊りもしています」との自己紹介が。満身創痍のごとき体で現役漫才師として半世紀以上奮闘してきた。

 83歳だった05年暮れには、東京駅のホームの階段から転げ落ちるアクシデントが起きた。40段ほど転落し、体が4、5回ほど回るすさまじさで、右手首が粉砕するような複雑骨折をした。それでも手術後の年末にラジオ番組に出演し、06年も年明けから次々と仕事をこなした。

 91歳の誕生日直後の13年秋には、イベント出演で「今日、みなさんに会うことができたので、明日目をつぶっても惜しくありません」とジョークを放った。
 けがや病を抱えながらも、元気に現役漫才師として人生を全うした。