1960年代に洋楽のカバーなどでヒットを連発した〝歌姫の元祖〟弘田三枝子さんが、心不全で急逝していたことが27日、分かった。73歳だった。

 20日に千葉の自宅で倒れ、病院搬送されるも翌21日に他界。関係者によると「倒れる前日までは、変わりなく元気でした」。26日に親族や関係者で密葬を行ったという。

 弘田さんはJ―POPの先駆者として知られ、多くのアーティストに影響を与えてきた。

「ヴァケーション」など洋楽のカバーがヒットし、1962年には紅白歌合戦に初出場した。69年の「人形の家」は大ヒット。山下達郎、竹内まりや、スピッツの草野マサムネら多くのミュージシャンからもリスペクトされていた。サザンオールスターズの桑田佳祐は昔からの大ファンで、83年に発売したアルバム「綺麗」には弘田さんをテーマにした「MICO」という作品を収録している。

 数々のヒット曲を持つ弘田さんだが、音楽関係者は「偉そうなそぶりは全くなかった。初対面でも距離を感じさせない柔和な雰囲気を持つ人だった。昔の話をして『昔は美人だったんだけどね』などと言われても『〝昔は〟って何よ』と、軽い感じで切り返すようなフランクな感じの人でした」という。

 ミュージシャンだけでなく、ダイエットブームをつくり出したことも。70年に出版した、自身の経験をつづったダイエット本「ミコのカロリーBOOK」は空前のヒットとなった。

「いろいろなところで、ヨガとか呼吸法とかの話をよくしていました。食生活を含めて、健康には気を使っていましたね。いつのころからか、ベジタリアンだった」とは弘田さんを知る関係者。晩年でもスリムな体形を維持し続けていたという。

 同関係者は「やせていたけど、決して不健康なやせ方ではなかった。常にハツラツとしていたのを覚えている」。それだけに今回の訃報は「びっくりした」とも語っている。