たけしも「努力の人」と認めていた! 時代を切り開いた山本寛斎さんの偉業 

2020年07月28日 06時15分

ビートたけしと山本寛斎(右)

 ファッションデザイナーの山本寛斎さんが21日、急性骨髄性白血病のため死去していたことがわかった。享年76。娘の女優・山本未(45)が27日、インスタグラムで「私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました」と公表した。

 寛斎さんはデザイナーのコシノジュンコさんに師事し、1967年に若手の登竜門「装苑賞」をを受賞。71年にロンドンで日本人として初めてファッションショーを開催した。93年にはモスクワの「赤の広場」で、ファッションの枠を超えた総合イベント「スーパーショー」を開催し、約12万人を動員。国内でも愛知万博など、多くのイベントに携わった。

 異母弟の俳優・伊勢谷友介(44)は同日、インスタで「兄、山本寛斎が永眠しました」とコメント。2人がそれぞれ27歳のころの写真を掲載し、寛斎さんが最後に病床で「俺の生き方、どうだ?」と聞いてきたことを明かした。

 これに伊勢谷は「すごいです。世界のファッションに早くから挑戦して、イベントの演出家として大きなショーを現実にしたことも」と返すと、寛斎さんは大きくうなずいたという。

 伊勢谷は最後に「あなたの血は、僕の中に生きてます。『世界基準でやりたいようにやる』あなたに負けず、僕は『すべての人がたやすく生きれる社会』を現実にしたいです。まだまだ僕のインスピレーションの源でいてください。ありがとうございました」と追悼。葬儀は親族だけで行った。

 寛斎さんと言えば、2004年に本紙制定の「第13回東京スポーツ映画大賞」で新人賞を受賞。授賞式ではビートたけし審査委員長(73)と意気投合した。

 寛斎さんはたけしを「世界で通用する数少ない監督」。たけしは寛斎さんを「ヨーロッパでも認められるまでの努力はすごい」と絶賛していた。

 ともに世界を股にかけ活躍する〝同志〟だった――。