志村けんさんといかりや長介さんのホントの関係

2020年04月11日 17時00分

いかりやさん(左)と志村

 新型コロナウイルスの犠牲になった志村けんさん(70)を追悼した、ゆかりの番組が軒並み高視聴率を記録した。

「志村けんさん追悼特別番組46年間笑いをありがとう」(フジテレビ系)は21・9%、「中居正広のキンスマスペシャル」(TBS系)は20・1%、「天才!志村どうぶつ園特別編」(日本テレビ系)は27・3%、瞬間最高視聴率は32・3%だった。

 それだけ老若男女に愛された志村さんは、都立久留米高(現東久留米総合高)を卒業する直前の1968年2月、ザ・ドリフターズのリーダー・いかりや長介さん(2004年没=享年72)の自宅前で雪の中、弟子入り志願した。

 付き人を経て、73年に「メンバー見習い」として表舞台に立ち始め、74年に荒井注さん(2000年没=享年71)が脱退したのと入れ替わりで正式メンバーになった。

 志村さんはいかりやさんについて本紙にこう語っていた。

「いかりやさんは怖かったですね。ほとんどしゃべらない人だったから」

 年の差は18歳。志村さんの父親・憲司さんは54歳で亡くなっており、ドリフに弟子入りしたことも知らなかった。小学校教師で厳格だった父親の名前から芸名を「けん」にした。後にいかりやさんの追悼番組で志村さんは「そういう(父親のような)存在だったのかもしれませんね」。いかりやさんに父親像を見ていたのかもしれない。

 志村さんは「しんみりしちゃうから、あんまり話したくないんだけど…」と言いながら、付き人時代の苦労話も記者に語った。

「弟子に入った時は月給5000円、税引き4500円。メンバーが外でラーメンを食べるときは、5人が食べた後のスープを一つに集めるとちょうど一人前で、それにご飯を入れて食べていた時代が3年続いたね」

 弟子に食事をおごってもよさそうだが、いかりやさんらは志村さんのプロ意識を育てるため、甘やかさず厳しく接した。

「靴を買うカネがなくて、付き人のころは一日中はだし。東京でも北海道でも。小道具さんにわらじをもらって一時期使ってたけど、あれは土の道だから持つんであって、アスファルトだと3日で足の2倍くらいのサイズに伸びちゃってたね」

 志村さんがブレークしてからの「8時だョ!全員集合」はパワーアップ。「東村山音頭」「ヒゲダンス」「カラスの勝手でしょ~」など、繰り出す笑いに当時の子供たちは熱狂した。85年に「――全員集合」は終了し、志村さんは「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)、「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジ系)などで活躍する。

 今年1月まで放送された年3回ほどの特別番組「志村けんのバカ殿様」の原型は「ドリフ大爆笑」(いずれもフジ系)からのコントで、家老役はいかりやさんだった。

「ふだんは気安く口もきけないようなドリフ内での関係なのに、コントでは殿と家老だから、日ごろと立場が完全に逆転。それでも志村さんはおじけづかず、思いっきりいかりやさんをぶっ叩く。教師と生徒、母親と子供など、ドリフのコントではいかりやさんと他のメンバーの間に、子供が大人にいたずらを仕掛けて楽しむような笑いがあったから、老若男女がそれぞれ楽しめた。これが実は入念に計算されたドリフの笑いだった」(バラエティー番組スタッフ)

 志村さんの急死を受け、追悼再放送された番組では、いかりやさんが亡くなる直前に書いたメモが紹介された。

 いかりやさんの決めゼリフの「オッス!」「8時だョ」「ダメだこりゃ」「次いってみよう」などとともに、こう走り書きが残っていた。

「加藤 志村がえらい」

 天国では師匠・いかりやさんと再会し、好きだった酒、たばこで昔話をしながら、ホメられ、志村さんは照れていることだろう。

(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)