【現役放送作家X氏の芸能界マル秘ウラ話】お笑い界の巨星墜つ――。「バカ殿様」や「変なおじさん」でおなじみの志村けんさんが、新型コロナウイルスによる肺炎のため死去した。まだ70歳だった。

 志村さんの感染が報道されたとき、おぎやはぎの矢作兼は「芸能人第1号が志村さんってスゴイよな。一番の大物が」と驚きを隠せない。その上で「肺を患ってたから本当に危険だよね」と心配していたが、悪い予感が当たってしまった。

 カンニング竹山は、ラジオでの発言が曲解され、ネットで志村さんの悪口を言ったように広められた思い出を振り返る。

「急いで師匠のところに行ったの。『実は言ってもいないことを、ネットでは勝手に言ったことにされているんですよ』と弁解したら、師匠は『気にするなよ。じゃあ今、一緒に写真撮って、オレのブログに載っければ終わりだろ』って。で、実際にそうしてくれたの。師匠は『ネットとか気にするなよ』と言ってくれて、それから飲みに行くようになりましたね」

 ドランクドラゴンは、なんと志村さんからキャラクターコントを伝授されている。鈴木拓によると「二十数年前のことですけど、街中にいそうな人をマネするキャラクターコントをやっていたんですよ。そのとき、志村さんに『ああいうときのキャラクターっていうのは、その人のキャラにのっとった行動をした方がいいよ』って教えていただいたんです。だから、相方の塚っちゃん(塚地武雅)が、オタクのコントをやるのは志村さんの教えがベースにあるんです」と明かす。

 志村さんと修業時代が一緒だった、放送作家の高田文夫は「8時だョ!全員集合」の会議に参加していたときのエピソードを披露する。今は亡きいかりや長介さんが仕切る長時間の会議がしんどくなり、中座したときのこと。「オレがそ~っと出ていったらさ、志村がいてさ。『いかりや、うるせえだろ』って(笑い)。オレも『塚田茂(高田の師匠)もうるさいんだよな。どんだけ偉いんだよ、あいつら』なんつって、2人で愚痴ったよ」と思い出に浸った。

☆プロフィル=1967年、東京・神楽坂生まれ。23歳でラジオ番組で放送作家デビュー。PTAから苦情が絶えない某人気バラエティー番組やドラマの脚本を手掛ける。