大ヒット映画のシリーズ「仁義なき戦い」「極道の妻たち」など、東映ヤクザ映画の名プロデューサーとして知られた日下部五朗氏が7日、京都府内で腎不全のため死去した。85歳だった。葬儀・告別式は10日に近親者で行われた。

 岐阜県出身で、早稲田大を卒業した1957年に東映に入社した。

 プロデューサーとして“姥(うば)捨て山”を題材にした映画「楢山節考」(故今村昌平監督)にも関わり、83年にカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを獲得した。

 同年は故大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」のほうが下馬評が高かった。今村監督は「外国人に“姥捨て山”は分からないから…」と受賞を期待していなかったとされ、賞の発表を聞くことなく帰国した。

 しかし、予想を覆して「楢山節考」が栄冠に輝いた。今村監督に代わってトロフィーを受け取ったのが日下部氏だった。

「その事情を知らなかった当時の海外メディアは勘違いし、日下部さんのことを『今村監督』と報道したという逸話がある」と映画関係者は懐かしむ。

 受賞の効果もあり、同作は10億円超の興行収入を記録した。

 本紙では2010年に「無頼派活動屋人生」と題した連載で、ヒット映画の撮影秘話や女優の素顔を明かしていた。その中で最も記憶に残る女優として、85年に夭逝した夏目雅子さんの名前を挙げていた。主演映画「鬼龍院花子の生涯」(82年)で夏目さんの有名なセリフ「なめたらいかんぜよ」から、仲代達也と演じた濡れ場の裏話などを赤裸々に語っていた。