20世紀のハリウッドを代表する伝説の俳優、カーク・ダグラスさんが今週103歳で亡くなった。60余年のキャリアのなかで、80本以上の作品で主演。米アカデミー賞には3度ノミネートされたものの、生涯オスカー像とは縁がなかった。そんななか、9日(日本時間10日)に開催される今年の同アカデミー賞授賞式の主催者は急きょ、カークさんの死を悼む特別枠の編成を急いでいる。

 今やほとんどの映画ファンからはマイケル・ダグラス(75)の父親として知られるカークさんは1916年、ユダヤ系ロシア移民の両親のもとにニューヨーク州で誕生した。

 貧しい家計を助けるため、10代のころから新聞配達やウエーターなどの様々なアルバイトに明け暮れた。だが、高校生のころからの夢だった役者の道に進むため、ニューヨークにあるアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに入学。すぐにその才能を開花させ、ブロードウェーの舞台に立った。

 第2次大戦中は海軍に徴兵されたが、負傷したため除隊。戦後の46年に「呪いの血」でついに映画デビュー。49年の「チャンピオン」では、冷酷非情なボクサーを演じて大ブレークした。その作品で米アカデミー賞主演男優賞にノミネートされたことが、その後の成功の足掛かりとなった。

「OK牧場の決斗」(57年)や「スパルタカス」(60年)、「パリは燃えているか」(66年)など次々とヒット作を生んだが、受賞したのは「炎の人ゴッホ」(56年)でのゴールデングローブ賞とニューヨーク映画批評家協会賞の主演男優賞のみだった。

 だが、96年の同アカデミー賞授賞式ではデビュー50周年を記念して名誉賞がプレゼンターのスティーブン・スピルバーグ監督から贈られた。

 日本とのつながりは75年から80年まで、味の素ゼネラルフーヅのコーヒー「マキシム」のCMに登場したこと。たったひと言「コーヒー」というセリフだけで1本の出演料が5万ドル(当時のレートで約700万円から約1000万円)と、その時代では破格だったことから米国内でも話題になった。

 実は意外にも家庭人だったカークさん。最期をみとったのは66年間連れ添った100歳になる最愛の妻アン・バイデンスだった。