スターの生きざまを貫き通した梓みちよさん「男勝り&男前エピソード」公開

2020年02月04日 17時05分

立て膝で歌う梓さん。独特のスタイルも注目された(98年6月)

 1月29日に76歳で亡くなっていたことが3日、明らかになった歌手の梓みちよさんは、名曲とともに数々の逸話も残した。1961年、宝塚音楽学校在学中に渡辺プロのオーディションに合格。62年に歌手デビューすると、63年に「こんにちは赤ちゃん」が大ヒット。11年後には「二人でお酒を」を再びヒットさせ見事によみがえった。“孤高の歌姫”として昭和の芸能界に強烈な存在感を放った梓さんの「男勝り&男前エピソード」を公開する――。

 梓さんは先月29日、マネジャーが打ち合わせのために自宅を訪れたところ、亡くなっているのが見つかったという。遺族の意思に基づき、近親者のみで2日に葬儀が執り行われた。

 代表曲である63年の「こんにちは赤ちゃん」(作詞・永六輔、作曲・中村八大)は100万枚を超える大ヒット。同年の日本レコード大賞を受賞し、NHK紅白歌合戦にもその年から7年連続で出場した。ただこの大ヒットで「あまりにも“清純派”というイメージがつき過ぎてしまったために、次のヒット曲に恵まれずに本人は思い悩んでいた」(音楽関係者)。

 その悩みを打ち破ったのが74年の「二人でお酒を」だ。当時ではあり得ない、ステージ上であぐらをかいて歌うスタイルが世間にウケて、清純派から“オトナの女”に脱皮した。

 ただ「女性があぐらをかいて歌うなんてはしたない、と祖母に怒られていたそうです」(ワイドショー関係者)

 身内の思わぬ批判を招いたが、それでも本人は喜びいっぱいだった。

 芸能リポーターの石川敏男氏は「そのイメチェンの間だったと思うんですが、梓さんは1本の歯にダイヤモンドを埋め込んだのが印象的だった。笑ったときにキラリと光る、彼女なりのファッション」と明かす。

 梓さんは過去に本紙のインタビューに応じた際に「『こんにちは赤ちゃん』は西も東もわからないポッと出の女が、たまたまスタッフに恵まれた結果。ツキ過ぎ。本当にうれしかったのは、11年ぶりに賞というものをもらった『二人でお酒を』の(レコ大の)大衆賞。これで私もみんなに親しまれる歌手として認めてもらえたわけだから」と話していた。

 歌手だけではなく、現在も続く長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」(朝日放送)で、桂文枝(当時は三枝)の2代目アシスタントを務めたことも有名。番組は梓さんがアシスタントを務めたころから、視聴率が飛躍的に上昇したという。

 一流の歌い手、一流のタレントだった梓さんは「気の強さ」も超一流。

 若いころは周りの歌手とのケンカも多かった。

「過去には同じナベプロだった中尾ミエさんと取っ組み合いのケンカをしたことも。和田アキ子さんも番組でネタにしていた」(前出のワイドショー関係者)

 同じ歌手仲間とキャットファイトするとは、まさに“男勝り”の激しい性格だった。

 有名なのは明石家さんまへの「シャンパンぶっかけ事件」だ。86年、さんまがホストを務めるトーク番組「さんまのまんま」に出演したとき、さんまの発言に腹を立てた梓さんが飲んでいたシャンパンをぶっかけた。バラエティー史に残るワンシーンとなっている。

 また、恋愛の方も激しかった。71年に俳優の和田浩治と結婚したが翌年離婚。その後は元プロ野球選手で野球評論家の東尾修氏との密会を週刊誌にキャッチされ、マスコミに追い回されたのは有名な話。ビートたけし本紙客員編集長は、東尾理子と石田純一の交際が発覚した時「おとっつぁん(修氏のこと)、娘に負い目があるし。あずさ2号だから」と梓さんとの不倫騒動をちゃかしたこともある。

 妻子ある東尾氏との交際は20年間ともいわれ、マスコミで報じられた後も続いたとされる。

 石川氏は「『こんにちは――』の清純派から一転して不倫だったので、みんな驚いたもの。でも、不倫と報じられようが目撃情報が出ようが、開き直ったような交際だった。双方とも記者会見やコメントも一切出さず、交際はかなりの長期間だったはずです」と指摘した。

 周囲からバッシングされたこともあったが、それでも梓さんは「性格はハッピー。周りのことは気にしない。嫌なことはすぐに忘れる」(本紙インタビューから抜粋)というようにサバサバした“男前かたぎ”だった。

 まっすぐ自分の道を突き進み、スターの生きざまを貫き通した。