日活アクション映画の黄金期を支えた「エースのジョー」こと俳優・宍戸錠さんが、都内の自宅で死去していたことが21日、分かった。86歳だった。

 宍戸さんは2006年1月、本紙で「エースのジョーの告白」を1週間にわたって連載した。“後輩”石原裕次郎さんら銀幕スターとの関係から、宍戸さんならではの豊頬手術と、後の除去手術の真相まで、タイトル通り衝撃告白した。

 宍戸さんが日本で初めてのいわゆる豊頬手術を受けたのは、本格デビューを果たした翌年の1956年だった。

 宍戸さんは「一番大きな理由は日活入社当時、幹部や宣伝部の連中と顔を合わせるたびに『お前の顔はコケすぎている。もう少し頬がふくらめば、もっといい男になるんだがな』と毎日言われていたから。自分では思っていなかったが、いつしか内心で“だったらふくらませればいいんだろう!”と誓うようになっていた」と語った。

 様々な手術理由が映画界では語られているが、あくまで本人はこう語っていた。

 2度目の手術を受けたころ、日活は路線変更。社会現象を起こした小説「太陽の季節」の映画化を機に、プロデューサーの水の江瀧子さんが原作者・石原慎太郎元都知事の弟・裕次郎さんをスカウトしたからだった。

 宍戸さんは「日活無国籍アクション映画」創成期に“マイトガイ”小林旭、裕次郎さんの敵役として活躍。61年にはニックネームの命名につながった主演映画「早射ち野郎」で世界早射ち選手権3位の「エースのジョー」を演じた。

 70年代には「何事も自分で体験してみないと気が済まない」とバラエティー番組にも進出。「元祖どっきりカメラ」などにも出演した。

「朝から晩まで番組が控えていて、飯を食う暇がなく、ビールだけの毎日が続いて半年がたったころ、急性肝炎になった」

 そして宍戸さんは01年に「これからは素顔で勝負させてもらう」と決意、頬を元に戻す手術を受けた。