映画「不良番長」や「仁義なき戦い」シリーズなどで人気を博した俳優の梅宮辰夫さんが12日午前7時40分、慢性腎不全のため死去した。81歳だった。6度のがんに見舞われるも、屈することなく、芸能界の「辰兄(たつにい)」として存在感を放ってきた。晩年はバラエティーでも活躍。お笑いトリオ「ロバート」秋山竜次(41)の「体モノマネ」にお墨付きを与える懐の深さを見せた。2017年1月に亡くなった“盟友”松方弘樹さん(享年74)に続き、また昭和の大スターがこの世を去った――。

 梅宮さんは昨年9月に前立腺がん、今年1月に尿管がんの手術を受け、週に3回透析治療を受けていた。昨日まで普段通りの生活をしていたが、この日の午前4時過ぎにクラウディア夫人(75)が異変に気付き119番。神奈川県内の病院に救急搬送されたが、帰らぬ人となった。

 関係者によると、病院では長女でタレントの海宮アンナ(47)が到着するまで「頑張って!」と声を掛け、アンナが到着して間もなく息を引き取ったという。

 梅宮さんは日本大学在学中の1958年に東映ニューフェイス5期生に合格。翌年に映画「少年探偵団 敵は原子潜航艇」で俳優デビューした。

 68年から映画「不良番長シリーズ」の主役として人気となり、73年に映画「仁義なき戦い」で不動の地位を確立。その後もドラマ「前略おふくろ様」(日本テレビ)や「スクール☆ウォーズ」(TBS)、「特命係長 只野仁」(テレビ朝日)などに出演し、公私ともに親分肌の役柄で人気を博した。

 晩年はバラエティーでも活躍。ロバートの秋山が行った「体モノマネ」に対し、梅宮さんはお墨付きを与え「どうせなら長く続けて、俺が死んでもやってくれよ」という言葉を残した。

 本紙インタビューにも幾度となく登場。平成から令和に改元する際には、小さくまとまった現在の芸能界に対し「このままいったら消滅するよ」と警鐘を鳴らしていた。

 訃報を受け、神奈川・真鶴町の自宅前には報道陣が集結。数年前にそれまで住んでいた都内の家を出て、別荘のあるここ真鶴を“終の棲家”と決めていた。

 真鶴には漁港があり、梅宮さんは早起きして市場に顔を出すこともあったという。市場関係者の話。

「アンナさんの娘さん(百々香)がまだ小さいころに、よく一緒に顔を出してくれました。魚を買うわけではなく、ニコニコしながら孫に『この魚は〇〇だよ』と教えてあげていた。本当に気さくな方。そして海のある真鶴が大好きなんだな、と思いましたね」

 30代半ばの睾丸がんから実に6度のがんに見舞われてきた梅宮さんだが、ついに力尽きた。17年1月に亡くなった盟友・松方さんも同じ海好き。いまごろ天国で松方さんと釣りでもしているのではなかろうか。