日本人初の国連難民高等弁務官として、難民支援に貢献した緒方貞子さんが22日に亡くなっていたことが分かった。92歳だった。

 危険をものともせず、紛争地にヘルメット、防弾チョッキ姿で乗り込む現場主義。紛争当事者と交渉する姿は、国連関係者や世界各国のトップから「身長5フィート(約150センチ)の巨人」(英BBC)と称賛された。

 1927年に東京で生まれた緒方さんの曽祖父は犬養毅元首相、祖父は芳沢謙吉元外相、父は元フィンランド公使の中村豊一氏。幼少期を米国と中国で過ごし、聖心女子大で後輩に当たる上皇后美智子さまは、29日に都内で行われた葬儀を弔問された。

 米ジョージタウン大で修士号、カリフォルニア大バークリー校で政治学博士号を取得し、日本人女性として初の国連公使、国連人権委員会日本政府代表を務め、91年に国連難民高等弁務官に就任した。

 アフガニスタン戦争時、本紙にリポートした戦場ジャーナリスト久保田弘信氏は、現地で見た緒方さんの行動力をこう語る。

「国連難民高等弁務官は本来、指揮者のようなポストで、紛争地まで入るようなことはしない。緒方さんは危険な難民キャンプも訪れ、常に現場目線だった。私が難民支援していたのを人づてに聞いた緒方さんから『あなたなのですね。聞いていましたよ』と声をかけてもらった初対面は忘れられません」

 難民だけでなく、紛争や貧困問題に取り組んだ交渉力、信念は強靱で、厳しい表情で知られるが、現場を離れると笑みがこぼれた。

「日本人は優しいから、ちゃんとした情報があれば協力してくれるのよ。ねっ?」

 久保田氏にかけた言葉の言外には“だから、フリージャーナリストとして日本に真実を伝えて”との思いがあったに違いない。2冊目のアフガニスタン写真集の帯に緒方さんからコメントを寄せてもらったという久保田氏は「見透かされているようで怖くて、優しくて、間違ったことが大嫌いな方」と偉大な功績を残した女傑をしのんだ。