歌手の和田アキ子(69)が30日、TBS系「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」に出演。新人時代のイジメと嫌がらせ体験を語った。

 1967年、17歳で芸能界入り。当時のホリプロは設立7年目の小さい事務所だった。一人勝ちだった渡辺プロダクションを打倒すべく、白羽の矢が立ったのが和田だった。米国進出で逆転を狙うホリプロは「身長170センチ以上(和田は174センチ)で外国人にも見劣りしない」「英語の歌がうまい」「海外にウケがいい武道(柔道)の有段者」の理由でスカウト。「きみは世界で通用する。プレスリーと共演させたい」と期待したという。「マーガレット和田」という幻の芸名もあったとか。

 ホリプロの未来を背負った和田だが、スタートは標準語を覚えるための電話番と英語のレッスン。歌手というよりOLのような生活だった。上京してから1年、“和製リズム&ブルースの女王”をキャッチフレーズに「星空の孤独」でデビューしたが、オリコンランキング70位と不発に終わった。翌69年の「どしゃぶりの雨の中で」が17万枚のヒットとなり、注目された。ようやくテレビ局からも声がかかるようになった。だが、女性の楽屋では先輩からの“洗礼”があった。新人の和田には座る場所もメークする場所もなかった。また衣装も先輩歌手と同じ色は許されなかった。「厳しいというより悲しかった」と振り返る和田だが、それだけではなかった。大柄の和田は「アンタがいると着替えづらい。出ていってくんない」と男呼ばわりされたというのだ。「靴に男は出ていけとかバカとか書かれて…」。さらに「今、私ね本当に言ってやりたいよ、そいつの名前。ざけんじゃねえよ」と、トイレで泣いた新人時代のイジメはを振り返った。「ケンカでは負けない」自信があったが、許されるはずもなく、家に帰って“復讐ノート”を書くのが日課だった。「死ね死ね」とつぶやきながら書いた相手は「半殺し500人、抹殺10人」に達した。

 そんな悔しさをバネに歌い続け、70年に「笑って許して」がヒット。初めて紅白歌合戦に出場した。背が高い女は売れないジンクスを破り72年には「あの鐘を鳴らすのはあなた」で日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受賞。番組では花束を抱え涙で熱唱するシーンを放映。ここで和田は「これ見て、菊だよ」と指摘。ナレーションでは「花束が葬儀で使われる白い菊にすり替えられた疑惑がある」と説明。中居正広(47)が「いやがらせ?誰の仕業か見当つかない」と聞くと和田は「全然。関係者ですよ。だって生放送だもの」と返した。母から電話で「なんで菊の花を持ってはったん」と聞かれて初めて気づいたという。中居は「何それ、芸能界ってそんなとこだったんですか」と言い放った。