88歳死去・高島忠夫さん銀幕スターの葛藤 バラエティーキャラへの思い

2019年06月29日 17時00分

亡くなった高島忠夫さん(右)と妻の寿美花代

 俳優の高島忠夫(本名・高嶋忠夫)さんが26日に老衰のため都内の自宅で死去したことが28日、明らかになった。88歳だった。1951年に、新東宝の第1期ニューフェース試験に合格。俳優として活躍する傍ら、バラエティー番組などでも、明るいキャラクターで親しまれ、人気クイズ番組「クイズ・ドレミファドン!」(フジテレビ系)での「イェーイ」の決めゼリフは一世を風靡した。だが、そんな“バラエティーキャラ”に本人は複雑な思いもあったという。

 高島さんは芸能界入りすると、52年には映画「チョイト姐さん思い出柳」で初主演。俳優としてだけでなく、その音楽的センスを生かし、ミュージカルの分野でも活躍し、63年には日本初のブロードウェーミュージカル、名作「マイ・フェア・レディ」に出演して、日本芸能史を彩った。

 テレビの世界でも、俳優界からの先駆者として大活躍。63年に結婚した妻・寿美花代(87)とコンビの料理番組「ごちそうさま」(日本テレビ系)は人気長寿番組に。キャリアを生かした「ゴールデン洋画劇場」(フジ系)の映画解説業も人気だった。

 テレビ界での活躍は目覚ましいもので、司会を務めた「クイズ・ドレミファドン!」では「イェーイ」とその渋い声で決め、番組を盛り上げる姿がお茶の間に大うけ。「イェーイ」は多くのタレントたちにまねされた。

 また、解答者側に回った「クイズ!年の差なんて」(同系)では、ヤングチームとアダルトチームに分かれ、アダルトチームの筆頭として、ヤングチームからの“いじられ役”に。状況に応じた役割を果たすタレントぶりは、まさにプロの仕事だった。

 昭和の芸能界において、様々な分野での活躍はスターと呼ぶにふさわしかったが、俳優出身だっただけにバラエティーへの露出はじくじたるものもあったという。

「芸達者な高島さんでしたが、もともとは俳優としてこの道に入ってきた。とてもまじめな性格だったことで知られていますから、どこかで『本来の道から外れてしまった』という思いもあったそうです」(芸能関係者)

 高島さんは、64年に生後5か月の長男を家政婦(当時17歳)に殺害される悲劇に見舞われたが、ともに俳優で次男の髙嶋政宏、三男の高嶋政伸と揃ってCMやテレビに出演するなど“高島ファミリー”として親しまれた。一方で、息子2人が俳優として芸能界入りした時にも「できれば、最後まで役者一本でいってほしいとの思いがあった」(前出関係者)という。

 ただ、やはり血は争えない。政宏、政伸は俳優業で大成したのと同時にバラエティーでも活躍し、くしくも父と同じ道を歩んでいる。もっとも高島さんの思いとは別に、視聴者は芸能界で幅広く活動する息子2人に往年の高島さんの姿を重ね合わせ、人気を博しているともいえる。

 政宏は、病院からの緊急連絡が2年前から頻繁にあるようになったとし、「そのたびに全身が総毛立つような感じにはなりましたが、ここ数か月は寝たきりの状態が多くなり、呼吸も弱まり、母いわく最後は眠るように旅立っていったのがせめてもの救いです」とコメントを発表。政伸は「父は、最後まで明るくよく通る声で笑ったり、話したりしながら、大好きなフリオ・イグレシアスの歌に包まれて、本当に穏やかに旅出ちました」とつづった。晩年はうつ病が重くなるなど闘病生活に苦しみ、かつてのように「高島ファミリー」で表舞台に出ることはなかったが、2人の息子がしっかりと高島イズムを受け継いでいる。