歌手の美川憲一(75)が4日、東京・中野サンプラザで、歌手生活55周年記念コンサートを開催した。

 会場は満員御礼で、報道陣も多数詰め掛けた。美川は「まだ通過点。60周年に向かって頑張る。どん底に落ちてまた這い上がって、平成になってキャラクターで得したけど、その分、しっかりと歌ってきたつもり。チケットが完売で良かった。“あの人は今”にならなくて」と笑わせた。

 祖父母とも51歳で亡くなっており、それを超えるほど長く芸能生活を送れたことに感慨深げ。「昔は人生50年だった。一つの目標だった55年をやっと迎えられたんだから、次の60年も頑張りたい。本当言うと、デビューしたころはこんなに持つとは思わなかった。オッサンまで歌えないと考えていたが、40歳近くになって意外と若いじゃない、これならやれるわと思った」と振り返る。

 続けて「ここまで来られたのは気合が違うの。病気になりかけても、骨折しても、痛いのを無理して動いてきた。まだプレートが入っているのを感じさせないほど元気でしょ。精神が大事よ」と昭和生まれらしく、人生を気合と根性で乗り切ってきた。

 さらに「私は体が軟らかいの。姿勢がいいから内臓がしっかりしているって。ちょっとエラソーに見えるかもしれないけど。ホラ、軟らかいでしょ。これが私の健康のバロメーター」とリポーターに体を触らせて若さをアピールした。

「すごい、赤ちゃんみたい」とモチモチの肌を褒められると「よく『嫁さんよりスベスベしてる』と言われるのよ。いろんなことするから。ちょっとしたケアが大事。生き残るのは大変よ。お金もかかるしね」と上機嫌になった。

 時代に応じて柔軟にキャラを変化させてきた。「昔は直立不動で、笑わない、しゃべらない、動かない“夜の貴公子”と言われた。それが『もっとはじっこ歩きなさいよ』(金鳥タンスにゴンのCM=1990年)でブレークして、今はおネエの先駆者みたいなキャラでしょ」と説明する。

「温泉場のお客さんに乱暴な言葉で『おだまり!』とやったらウケて、それから二丁目に行ってママから情報もらっていろんな言葉を取り入れて、自分をプロデュースしていった。時代と環境の中でボーッとせずに、これと思ったことをキャッチするタイプだから良かったんだと思うの」。美川の感性の鋭さが、再ブレークにつながったのだ。