巨匠・降旗康男監督 故高倉健さんとの“名コンビ”秘話

2019年05月27日 17時00分

降旗康男監督

 映画監督の降旗康男(ふるはた・やすお)さんが20日に肺炎のため、84歳で死去していたことが明らかになった。東映が26日に発表した。降旗さんは故高倉健さんとタッグを組み、「駅 STATION」や「鉄道員(ぽっぽや)」など数々の傑作を世に送り出したことで有名だ。そんな巨匠とスター俳優との“名コンビ”秘話を公開する。

 降旗さんは1957年に東大文学部仏文科卒業後、東映に入社。助監督時代を経て、66年に映画「非行少女ヨーコ」で監督デビューした。99年の「鉄道員(ぽっぽや)」で2000年の第23回日本アカデミー賞最優秀監督賞・最優秀脚本賞を受賞。16年に「追憶」の撮影終了後、パーキンソン病を発病し、最近は療養生活を送っていた。先月半ばに体調を崩して入院すると、その後肺炎を患い、回復しないまま息を引き取った。

 本人の遺志で、通夜・告別式は無宗教の形で執り行ったため、戒名はなし。式では愛飲していた日本酒と愛用の眼鏡、時計が供えられた。会場には大好きだったポルトガル民謡「ファド」が流されたという。お別れの会も本人の遺志により一切行わない予定だ。

 数々の作品を世に送り出した降旗さんだが、やはり、高倉さんとのタッグを抜きにしては語れない。

 降旗さんが監督デビューして2作目「地獄の掟に明日はない」(66年)で2人は初めてタッグを組んだ。そこから「新網走番外地」シリーズの任侠映画から「あなたへ」(12年)まで、高倉さんの主演作は20作品に及ぶ。

 そんな2人のコンビの転機は、81年の「駅 STATION」。映画関係者によると、この作品は2人の映画人生のターニングポイントだったという。
「当時の降旗さんは、東映を退社してフリー。一時期テレビドラマの方に行っていたが、再び映画監督として大きな仕事を成し遂げようとしていた時期です。一方、任侠路線に行き詰まりを感じていた高倉さんは、役者引退覚悟で『幸福の黄色いハンカチ』で新たな役者像を作り、さらなる飛躍を望んでいた時期だった」(同関係者)

 当初、期待されていなかった興行収入が想定外の結果を収めた(12億円で81年の年間邦画7位)。これで映画人としての自分たちの立ち位置を固めたという。もちろん、2人の絆が強く結ばれたのは言うまでもない。

「撮影も長回し(カットを掛けずに1つのシーンを撮り切る)の好きな健さんを信頼し、演出もつけない」(前同)

 高倉健という軸が揺るがないからだろう。大胆なキャスティングも同監督の真骨頂。89年には「あ・うん」で元プロ野球選手でタレントの坂東英二、99年の「鉄道員(ぽっぽや)」では、お笑い芸人の志村けん、85年の「夜叉」、前出の「あなたへ」ではビートたけし本紙客員編集長を起用して話題になった。いずれも高倉が主演だ。

「タレントや芸人の表現力の高さを降旗監督は認めていましたね。フラットに人を見ていた気がします」とは映画宣伝関係者。
 くしくもこの日、「鉄道員(ぽっぽや)」でプロデューサーを務めた元東映常務の坂上順(さかがみ・すなお)さんも今月18日に79歳で亡くなっていたことがわかった。

 映画を愛し、映画に生きた降旗監督。その功績は後世に語り継がれることだろう。