1990年代後半「シノラーブーム」を巻き起こした篠原ともえ(40)がイケメン人気クリエーターと結婚した。テクノユニット「電気グルーヴ」の石野卓球(51)プロデュースでデビュー。その石野の相棒で篠原も長年親交のあるピエール瀧被告(52)がコカイン事件で逮捕された余波が続いているが、石野がかつて大ブレークさせた“愛娘”のおめでたい一報だ。

 シノラーブームのころ、篠原はまだ10代。当時は制御不能なブッ飛んだ言動で、どちらかというとキワモノ扱いだった。ところが、いつの間にかしっとりとした大人の女性に成長。しかも年齢を感じさせない美しさも話題になった。

 なのに、これまで浮いた話はほとんどなく、3月29日の誕生日で四十路を迎えた。そんななか、おめでたい一報が飛び込んできた。

「篠原さん、結婚しましたね。相手の方が最近になって、彼女のことを『奥さん』と周囲に紹介するようになったんです。だから、業界の一部の人たちの間では、2人の結婚が周知の事実のように語られていました」と明かすのはある広告関係者。

 気になるそのお相手は、大手広告代理店所属の有名アートディレクター・I氏(37)。CM、広告から、ロゴやパッケージのデザインまで幅広く手掛け、グラフィックデザイナー、クリエーティブディレクター、アーティストの肩書も持つ。サントリーやトヨタなど大手クライアントとの仕事も多く、広告関連での受賞歴は多数。しかも甘いマスクのイケメンだ。

 前出の関係者は「2人は今、ニューヨークに行ってると思いますよ。ハネムーンなんじゃないかな」と話す。

 篠原は近年、タレント業と並行し、デザイナーやアーティストとしての活躍が目覚ましい。松任谷由実やジャニーズの「嵐」のコンサート衣装を手掛け、宇宙や仏像への造詣も深く、その多才ぶりは国や地方自治体などお堅い方面からも気に入られている。

 2人が急接近したのは昨夏。篠原は昨年9月、国内最大規模のファッションとデザインの合同展示会で、幼少のころから描きためたスケッチ150枚の原画展を開いた。その監修を務めたのがI氏だった。篠原が顔にデッサンのようなメークを施し、一見スケッチ画のような写真は、2人がコラボして作り上げた特別なアートワークだ。I氏はあまり更新しない自身のインスタグラムで、この作品を制作過程の動画付きで公開している。

 翌10月、篠原は2009年から続けていたツイッターを突然やめた。

 本人は「本気で好きなことにまっすぐに時間も想いも全力で今のお仕事に取り組みたいと思いました」と理由をツイートしたが「本気で好きなこと」とはI氏のことではないかといわれている。

 篠原は4年前の36歳当時、本紙の直撃に「恋は時々してます」「そろそろ結婚の年齢なので、ご縁があれば…。(運命の相手を)まだ探ってます」と声を弾ませていた。

 その翌年末には公の場で「私のタイプはクリエーティブな方」と明かしている。昨年1月末には「結婚できない女性芸能人」の一人としてバラエティー番組に出演。そう考えると、結婚を視野に入れながらも独身キャラで仕事をしていたといえそうだ。

 篠原をプロデュースし、アムラーの対極を行くシノラーブームを仕掛けたのは、「電気グルーヴ」の石野卓球だ。その石野は今年3月、相棒・ピエール瀧被告がコカイン事件で捕まったため、一挙手一投足が注目された。

 さぞや本人もいい気はしなかっただろうが、今度は自分がかつてスターダムに押し上げたいわば“愛娘”のような篠原の、この上なくめでたい話だ。瀧被告の初公判は控えているが、石野にとっても篠原の結婚は、心機一転の明るい話題となりそうだ。

☆しのはら・ともえ 1979年3月29日生まれ。東京都青梅市出身。本名は漢字で「友恵」。親が三浦友和・山口百恵さん夫妻のファンで、2人から1字ずつ取って命名した。95年、16歳のとき石野卓球プロデュースで歌手デビュー。翌年の「クルクルミラクル」、97年の「ウルトラリラックス」が話題に。

 語尾に「ですぅ~」を付けたり体をクネクネさせる変わった言動、個性的ファッションをマネた「シノラー」がちまたで増殖した。高校・大学でデザインを学び、近年はアーティストやデザイナーの肩書で活躍。

 天体オタクで、天文仲間が申請し、2014年に学術名として正式登録された「小惑星Shinohara」という星もある。独特で多才なセンスを買われ、国の「クールジャパン戦略推進会議」に呼ばれたことも。日本が世界に向け発信する「カワイイ文化」でブームを起こした先駆的存在。