ショーケン追悼伝説 コワモテ俳優もビビる「スイッチ入ったらブッ飛んじゃうから」

2019年03月29日 16時30分

「太陽にほえろ!」で石原裕次郎さん(右)と共演した萩原さん(1972年6月)

 ショーケンの愛称で親しまれた俳優の萩原健一(本名・萩原敬三)さんが26日に急逝していたことが28日、分かった。68歳だった。所属のオスカープロモーションがマスコミ宛てファクスで発表した。多くの浮名を流し、破天荒な行動で芸能マスコミをたびたび騒がせた萩原さん。自身が恐喝未遂容疑で逮捕される際も、酒を飲みながらそのニュースをテレビで見ていたという。

 萩原さんの命を奪った病名は「GIST(消化管間質腫瘍)」。2011年から闘病していたが、萩原さんの強い希望で病名の公表を控えていたという。

【消化管間質腫瘍(GⅠST=ジスト)】とは、胃や腸など消化管の壁に発生し転移、再発を起こす悪性腫瘍の一種(肉腫)。いわゆる胃がんや大腸がんなどとは性質が大きく異なるのが特徴。消化管の粘膜下に腫瘤状の病変を形成し、自覚症状は少ない。病変が大きくなると腹痛、下血、貧血などの症状が現れる。主な治療法は手術での切除。発生率は10万人に1、2人といわれる希少がん。

 モデルの理加夫人(冨田リカ)の公式ホームページには、一緒にジムを訪れた写真が24日付で掲載されている。Tシャツ姿の萩原さんは元気そうな様子。その2日後の26日に容体が急変し、同日午前10時30分、息を引き取った。故人の遺志に従い、葬儀は家族のみで営まれ、27日に都内の斎場で荼毘に付された。

 理加夫人は「生前に、お世話になりました仕事関係の皆様、ファンの皆様に、心よりお礼申し上げます。これまで、本人の強い意向により、病のことは公表せずに参りました。最期は、とても穏やかで安らかに、ゆっくりゆっくり、眠る様に息をひきとりました。今はまだ、心の整理がついておりませんので、皆様、どうかご理解頂けると幸いと存じます」とコメントした。故人の遺志に従い、お別れ会や、しのぶ会を行う予定はないという。

 太く短い人生だった。グループサウンズ「ザ・テンプターズ」のボーカルとして人気を博した1960年代に続き、俳優としても「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)や「傷だらけの天使」(同)で不動の地位を確立した70年代は、まさにイケイケ。荒々しい性格で「鋭いナイフ」のようなオーラを漂わせていた。

 当時を知る関係者は「濡れ場のシーンは前貼りナシが当たり前。本気で相手の女優とヤッちゃったこともある。キレると手がつけられないが、演技に関してはいちずな人だった」と明かす。

 コワモテで知られる某俳優も、かつて本紙記者に「萩原さんはレベルが違う。スイッチが入ったら、ブッ飛んじゃうからね。誰も止められない。ハンパじゃないよ」と目を大きくしながら語っていた。

 05年には主演映画「透光の樹」の途中降板をめぐって、プロデューサーに脅迫電話をかけたとして恐喝未遂容疑で逮捕された。当時住んでいた自宅の前には大勢の報道陣が集結し、その目前で萩原さんは連行されて行った。

「連行直前まで自宅で酒を飲みながら『ショーケン、逮捕へ』と報じる情報番組を見ていた。画面を通して報道陣の数を数えて『すごいなぁ』と話していた」(テレビ関係者)

 ブッ飛んだ逸話も多い一方で“愛猫家”という意外な一面も。地域の猫を餌付けし、自宅周辺には猫のトイレを兼ねた段ボールが何個も置かれていた。残念なことに猫は段ボールではなく、家の壁に小便をするクセがあったが、萩原さんが怒ることはなかった。

 そればかりか「前の奥さんが家を出ていった際、お気に入りの猫を連れて行ったことに猛反発。『あの子を返せ!』としきりに訴えていた」(関係者)。

 11年2月に理加夫人と4度目の結婚(事実婚含む)。「ジェットコースターのような人生だったけども、今後は2人でメリーゴーラウンドのようなゆっくりした人生を歩みたい」と語っていた。その言葉通り、かつての「鋭いナイフ」は鳴りを潜め、仏のように穏やかになった。

 仏教研究にハマり、四国八十八か所巡りにとどまらず、自宅に戻っても毎日40キロとも言われたウオーキングが日課に。還暦前後の男性にとっては荒行でしかなく、体重が激減し、重病説が浮上するほどだった。歩きすぎて足を疲労骨折したこともある。

 ある時、心配した女性週刊誌の記者が直撃すると、萩原さんは「邪を払い、御利益がありますように…」と数珠で記者の頭をなでたとの逸話もある。