石川敏男氏が語るショーケンの素顔 「傷だらけの天使」続編への並々ならぬ執念

2019年03月29日 16時30分

岸恵子(右)と共演した萩原さん(1975年2月)

 26日に68歳で急死したミュージシャンで俳優の萩原健一さんは、数々の映画やドラマで個性的な演技を見せた。映画での出世作は「約束」(1972年)。これを機に俳優業に力を入れていった萩原さんの歩みを、芸能リポーターの石川敏男氏が振り返った。

「約束」について、石川氏は「急きょ主役に抜てきされた萩原さんに、岸惠子さんが『私、知らない人とはできないわ!』と共演を拒否した。困ったスタッフは『ショーケンはいいヤツだから、しばらく付き合ってみてよ』とデートを勧めるとホントにいい仲になって、映画もうまくいったそうです」と語る。

 その演技が高評価された萩原さんは、72年に始まった人気ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系)の新人刑事・マカロニ役でブレーク。74年からは、後の俳優が憧れた伝説的主演ドラマ「傷だらけの天使」(同)、75年スタートの「前略おふくろ様」(同)など代表作へつながっていく。とりわけ、「傷だらけ――」への思い入れは特別だったという。

「15年くらい前だったと思いますが、萩原さんはどうしても『傷だらけ――』を再びやりたくて、脚本家の市川森一さん、テレビ朝日社長らを口説き回っていました。放送した日テレではなく、テレ朝の社長を口説いたのは、ドラマで弟分の探偵としてブレークした水谷豊を口説いてもらうため。これほど熱心に動き回ったのは、それだけ『傷だらけ――』の木暮修役に思い入れが深かったからでしょうね」(石川氏)

 石川氏が萩原さんで思い出すのは同じ芸能リポーターで知られた故梨元勝さんだという。

 梨元氏さんは84年3月15日発行本紙1面で萩原さんといしだあゆみの電撃離婚をスクープ。翌日、萩原さんが離婚を発表するほど、萩原さんに食い込んでいた。

「女性関係、事件と、ワイドショーのネタに事欠かなかった萩原さんだったから、ボクらはよく横浜の家に行き直撃取材すると『そんなこといちいち覚えていないよ!』などと激高していた。梨元さんは、事件の時も世間の反感を買った萩原さんの単独インタビューを丁寧に取っていましたね」(同氏)

 梨元さんは肺がんのため2010年8月に65歳で死去。翌月開かれたお別れの会に萩原さんも出席した。天国で再会を遂げるのか――。