【那須戦争博物館】息子が明かす故・栗林館長の波乱の生涯

2019年05月08日 11時00分

ヒクソン・グレーシーと握手する若き日の寿行氏(右)

 先日亡くなった那須戦争博物館の栗林白岳館長(享年91)の一代記となるドキュメンタリー映画「昭和九十年」(2016年完成)の多言語版DVDリリースのためのクラウドファンディングの募集が10日まで行われている。

 栗林館長は毎年の終戦記念日、靖国神社に軍装参拝していた有名人。また、私財を投じて戦争博物館を造りあげた。

 館長の長男・栗林寿行氏(55)が、父の波乱の生涯を本紙に明かした。

 寿行氏が小学校1年生のとき、中古車販売業に失敗した館長は多額の借金を残して失踪。数年後「再建のメドが立った」という一本の電話があり、一家が再集合。兵庫県で飲食業などを成功させたが、事業を拡大し過ぎたために借金で首が回らず、寿行氏が中3のときに2度目の蒸発。

 寿行氏は新聞配達などで家計を助け、苦労して高校、大学を卒業した。中学時代に始めた空手を生かし、ガーディアン・エンジェルス(犯罪防止NPO団体)日本支部創立メンバーとなり、ボディーガードの職にもついた。ガーディアンの関係で懇意となったデーブ・スペクター氏のマネジャーを務めた時期もあった。

 寿行氏は「そんなときです、大学時代の友人から電話があって『戦争博物館に行ったんだけど、栗林館長って、もしかして、お前の親父?』。ウソだろって、思いましたよ。当時つき合っていた彼女からも『週刊誌であなたにそっくりなおじいさんを見た!』と言われた。当時、既に親父は靖国神社の名物男として有名だったんですね」と語る。

 その後、館長から直接電話があった。九段会館で行われる軍歌軍装会のために上京するから、そのときに会えないだろうかというのだ。
「ふざけるなと思いましたね。『アンタがいなくなってから、おふくろがどれだけ苦労したと思っているんだ』と言ってやりましたよ。会って、ぶん殴るつもりだった」

 会おうか会うまいか、悩む寿行氏の背中を押してくれたのは、デーブ氏のこの言葉だった。

「もし、どうしても殴りたいというなら会わない方がいい。殴らないという自信があるなら会うべきだ」

 35年ぶりに対面した父の体は、小さく見え、殴ってやるという感情はうせた。その後、寿行氏は年に2回の那須参り。再会のたびに父は体が弱り、18年には靖国神社に行くことができなかった。最後の方は説得して、しぶしぶ介護施設に入ってもらった。3月に那須で行われた葬儀には地元の人々が集まってくれたという。