【ダイアモンド・ユカイの昭和ロックを語る時が来た!(2)】昭和の終わりごろ、日本にロックの大きなムーブメントが巻き起こった。その中心にいたバンド、「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド・ユカイ(55)がゲストを招いて昭和ロックの歴史をひもといていく。今回も伝説のバンド「BOOWY」のドラマー、高橋まこと(63)を迎え、当時を振り返る。

 ユカイ:まことさんがBOOWYに入ったのって、人気が出るずっと前でしょ。なぜシャケ(木暮武彦=レッズのギター)とのバンド「ストレート」ではなく、BOOWYを選んだの?

 高橋:1981年だな。ギタリストの山田淳から電話で「今から新宿ロフトに来い」って呼び出されたんだよ。そこで見たのがBOOWY(当時は暴威)だった。まだ6人編成でね(後に2人脱退)。ファーストアルバム「MORAL」(82年発売)がほぼ出来上がった段階で、最初のドラマーが抜けることになって、山田が「空きができるから入ればいいじゃん」と教えてくれたんだ。

 ユカイ:そのライブでビビッときた?

 高橋:ビビッときたわけよ。粗削りだけど面白い。このバンドでやったら面白いことできるなってさ。後で知ったんだけど、それがロフトでの初ライブだった。

 ユカイ:そこから「ストレートでのコンテスト出場よりBOOWYの軽井沢合宿を選んだ」という前回の話につながるわけね。

 高橋:そういえば俺の後、ストレートのドラムって誰がやったんだ?

 ユカイ:タマという人。後に学校の先生になったのかな。あのころ、バンドでデビューを目指しながら、でも大学行って就職も視野に入れてって多かったよね。プロなんて簡単になれなかったから。俺だって公務員になろうと思ってたし(笑い)。

 高橋:俺はいきなり東京でプロは無理だと思って、福島から一度仙台に行って活動して、段階を踏んで東京に出た。仙台時代に「頭脳警察」に入るかという話があったけど、東京に単身で出る自信がなくて行かなかったんだよ。

 ユカイ:段階の世代だ(笑い)。まだ東北新幹線が通る前、東京まで一日がかりのころだね。話を戻すけど、シャケからまことさんが抜けたと聞いた時、BOOWYがあんなに大きなバンドになるなんて想像もしてなかったよ。それからしばらくして、シャケがまことさんに呼ばれたのかな? ロフトにライブを見に行って、「なんかすごいもの見ちゃったよ。なんなんだあれ」って青い顔してたことがあった。

 高橋:何を見たんだ?

 ユカイ:これは俺の解釈で、シャケは違うって言うかもしれないけど、布袋(寅泰)君のギターのことだよね。当時の他のギタリストとは音が違ったから。シャケがディレー(原音がやまびこのように鳴るエフェクター)を使いだしたのも布袋君の影響かな。布袋君のギターって、日本のロックの文脈の中では革命的な音を出していて、ギター観が変わるほどの衝撃を受けたギタリストが、あのころたくさんいたんだよ。マネしてディレー使う人が増えたしね。

 高橋:ユカイもライブに来てくれたよな。

 ユカイ:俺が見たのは4人になってから。アルバムでいうと2枚目の「インスタント・ラブ」(83年)と3枚目の「BOOWY」(85年)の間だね。俺は人見知りだから(笑い)、こそっと一人で見に行ったんだけど、まず思ったのは「西城秀樹さんみたいなハスキーな声だ。雰囲気がカッコいいなぁ」。ボーカルとして、氷室(京介)さんを見るからね。あと、シルエットが全体的にかっこ良かったんだよ。まことさん、こんなバンドに入ったんだ~と。

 高橋:西城さんと声が似てたっちゃ似てたな。俺もユカイとシャケのライブを見に行ったぞ。「レベッカ」として活動してたころに。

☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズでデビュー。89年に解散後、数度再結成。ソロとしてのカバーアルバム「Respect III」、著書「タネナシ。」「育爺。」が発売中。2015年に織田哲郎と結成したバンド「ROLL―B DINOSAUR」の2ndアルバム「SUE」が発売されたばかり。

☆たかはし・まこと=1954年1月6日生まれ。福島県出身。ドラマー。77年に元「安全バンド」の長沢ヒロとHERO結成。78年、デビュー作レコーディング後に脱退。81年にBOOWY加入。87年の解散後は「De+LAX」ほか数々のバンドに参加。2016年に“最後のバンド”「JET SET BOYS」結成。最新作は「BIRD EYE」。過去の著書に10年分の情報をプラスした文庫版「スネア」が発売中。