【山上徹二郎 40年目の春】「原発切抜帖」土本監督の並外れた才能に接することができた

2022年07月31日 10時00分

土本典昭監督(「原発切抜帖」/土本典昭監督作品/1982年青林舎)
土本典昭監督(「原発切抜帖」/土本典昭監督作品/1982年青林舎)

 前回に続いて「原発切抜帖」の話だ。主要な日刊紙の新聞紙面だけで、原子力発電所の問題を映画で描けるのか。特別な情報ではなく、誰もが日常に接している情報だけで、原発問題にどこまで斬り込めるのか。挑戦的なドキュメンタリー映画の企画だった。手分けして集めて来た各新聞の記事のコピーを絵コンテ代わりにして、映画を構成していった。同じルーツを持つ核兵器と原発の記事だけでなく、原発関連の記事の周囲にある報道記事や、その時代の世相を垣間見ることのできる新聞広告などの紙面から、意外にも映画を面白くするエンタテインメントの要素を加えることができることに気づいた。

 撮影する実際の新聞の紙面は、図書館に収められている縮刷版からではなく、原紙を使って撮影することにこだわった。当時は東京大学新聞研究所の資料庫に、まだ新聞の原紙が残されていた。研究所の特別な撮影許可を得て、地下にあった倉庫に急ごしらえの撮影スタジオを設置し、10日間ほど通って撮影した。

 原紙には黄ばみやシミがあり、そのリアルな紙面を映像化するため、あえてカラーフィルムを選択し、また、オーバーラップやフェード・イン、アウトなど通常は現像時点で処理するプロセスを、撮影段階ですべてアナログで工夫した。

 当時のフィルムの現像技術では、光学的な処理の際、オリジナルネガからのコピーになってしまうため、画質が劣化するという欠点があったからだ。照明による暗転やハーフミラーを使った撮影技術は、当時「岩波映画製作所」で科学映画を担当していたカメラマンの渡辺重治さんが担当した。順調に撮影が終わり、編集作業に入った。この作品では、ナレーションが重要な構成要素になることから、土本典昭監督は旧知の仲だった小沢昭一さん(2012年没、享年83)をナレーターに決めていた。ところが小沢さんは当時売れっ子で、空いている時間は限られていた。編集を終え、映画の構成ができてからの収録では難しいことが分かり、土本監督がナレーション原稿を先に書くことになった。

 短時間で書き上げた原稿で収録した小沢さんのナレーションは完璧だった。土本監督の並外れた才能に接することのできた、貴重な体験となった。また、音声と映像を合わせながら、フィルムを編集していく土本監督の作業現場に、編集助手として参加できたことで、1本の映画がどのように構成されているのか、その細部まで知ることができた。ドキュメンタリー映画の面白さに、すっかり魅了されてしまった。

☆やまがみ・てつじろう 1954年、熊本県生まれ。86年「シグロ」を設立、代表就任。以来80本以上の劇映画、ドキュメンタリー映画を製作・配給。「絵の中のぼくの村」(96年)でベルリン国際映画祭銀熊賞受賞をはじめ、国内外の映画賞を多数受賞。主な作品に石原さとみ映画デビュー作「わたしのグランパ」(2003年)、「老人と海」「ハッシュ!」「松ヶ根乱射事件」「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」「沖縄 うりずんの雨」「だれかの木琴」「明日をへぐる」など。最新作「親密な他人」が公開中。

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