【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(59)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。ゲストは伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)。今回は後にブルースシンガーとして人気になった柳ジョージ加入の経緯、そして衝撃的な解散劇を語る。

 ユカイ 1969年4月にゴールデン・カップスを脱退したエディさんは、ブッチさん(ケネス伊東)と「エディ藩グループ」を結成。70年1月に同グループのアイ高野さん(ドラム)、ブッチさん(ベース)とカップスに戻りました。ブッチさんは8月に脱退。代わって入ったのが柳ジョージさんですね。ジョージさん加入はどういう経緯だったんですか?

 エディ 俺が入れたいって言ったんだよ。ジョージは横浜の別のバンドでベースを弾いててね。「こっちに入る気ある?」って聞いたら「ある」って。だからそのバンドを仕切ってた親方に「ジョージは才能がある。世に出してあげたい。俺に預けてもらえませんか」って直談判しに行った。

 ユカイ ストレートに言ったんですね。

 エディ「ちゃんとできるのか」って聞かれたから「責任持ちます」って。それでこっちに連れてきた。あいつは歌も天才的にうまかったよ。

 ユカイ カバー曲聴くとめちゃくちゃ発音がいいんですよね。残念ながら2011年に63歳でお亡くなりになりました。

 エディ 酒の飲み過ぎだったからしょうがない。実は演歌を歌わしたら超一流でね。地方のライブハウスに出た後、一緒に飲んでてさ。まだカラオケがテープの時代だったな。「ジョージ、歌ってよ、森進一」って歌わせたらすごくうまかった。生きていたら演歌もやってほしかったね。それぐらい素晴らしいシンガーだった。

 ユカイ 聴いてみたかったなぁ。レイ・チャールズみたいなこぶしを日本語にうまく乗せてましたよね。

 エディ オーティス・レディングとかそっくりだったよ。ジョージが入ったころはGSブームが終わり、カップスも落ち目になってたけど、メンバーは良かったんだよ。GSのスーパーグループをつくろうと思ってさ。

 ユカイ 71年に結成したPYGみたいな感じですね。沢田研二さん、萩原健一さん、大野克夫さん、井上堯之さん、岸部一徳さんがいた。

 エディ GSブームの終わりのころ、新宿ACBを夜中に借り切ってライブやったことがあってね。沢田研二もショーケンも来て「ロックが歌いたい!」って言ってたよ。

 ユカイ 沢田さん、PYGでレッド・ツェッペリン歌ってましたもんね。

 ――カップスは72年の正月早々、沖縄で解散しました。火事に遭ったという話ですが…

 エディ そうそう。沖縄が日本に返還される前の最後の年末年始でね。そういう節目だからカチッとやろう、って楽器を全部持って行ったんだ。神戸から船に乗せて。演奏してたらジョージとアイ高野が「なんか焦げ臭い」って言い出してさ。漏電から火が出て、みるみるうちに煙がモーッと立ち込めた。「やばい!」って楽器置いて、這って外に出たよ。

 ユカイ 全員無事だったんですよね。

 エディ 平尾が「みんないるか?」って安否を確認して、揃ってるのがわかったら「よし、辞めよう」って。

 ユカイ それが解散の言葉ですか!?

 エディ そう。火事の炎を見ながらみんなで歌ったよ。

 ユカイ 何歌ったんですか?

 エディ 沖縄よいところ、とか(笑い)。

 ユカイ やけくそですね(笑い)。事前に解散話は出てたんですか?

 エディ「解散」と言葉にはしなかったけど、あの前からそろそろ辞めようか、という雰囲気にはなっていた。あの日、楽器が全部焼けて、踏ん切りがついたんだね。主催者が逃げちゃって、補償もギャラもなかったよ。

 ユカイ ジョージさんだけベースを持って逃げたとか。

 エディ そう。しっかりしてるね(笑い)。

 ☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。後に再結成。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。7月24日に横浜馬車道パラダイスカフェでライブを行う。

 ☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。