【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:エディ藩編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(58)が、ゲストを招いて昭和の日本に巻き起こったロックムーブメントをひもとく。伝説のバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のギタリストとして活躍したエディ藩(73)は、中学生当時からフェンダー製ギターを使っていたという。当時、日本では超高価だったフェンダーのギターをどうやって入手した?

 ユカイ エディさんって最初からずっとギターがうまいイメージなんですが、初めてギターに触ったのは?

 エディ 最初は無銭飲食のギターだったよ。

 ユカイ え? 無銭飲食ですか?

 エディ うち、中華料理屋をやっててさ。ある時、船員さんが「お金がない」って、持ってたギターを置いて帰っちゃったんだよ。ナイロン弦の。

 ユカイ ガットギター?

 エディ そう。それが最初に触れたギター。その時は「こんなもんか」って、のめりこんだりはしなかった。

 ユカイ ハマったきっかけは?

 エディ 中学3年生の夏に親戚のおばさんと香港に行ってね。横浜からアメリカン・プレジデント・ラインズの「プレジデント・ウィルソン」っていうデカい客船に乗って。香港に3か月間ぐらいいたな。当時はイギリスの植民地だったから、イギリスのバンドが来てさ。「ザ・シャドウズ」とか見て、こんな音楽があるんだってビックリして、それからハマっちゃった(笑い)。

 ユカイ エディさんが中3ということは、1962年の夏ですね。ビートルズがデビューする少し前だ。シャドウズはインストゥルメンタルバンドで、「アパッチ」(60年)を最初にリリースしたグループですね。73年にインクレディブル・ボンゴ・バンドがカバーしたバージョンは、後にヒップホップでサンプリングされまくったから、知っている人も多いと思う。

 エディ 最初はクリフ・リチャードのバックバンドでね。リバプールサウンドにも影響を与えた親分みたいな人たちだよ。

 ユカイ シャドウズに影響されて、横浜に戻ってから船員が置いていったガットギターを…という流れですか?

 エディ いや、すぐに香港の楽器店に買いに行った(笑い)。

 ユカイ 行動が早い(笑い)。何を買ったんですか?

 エディ フェンダーのジャズマスター。

 ユカイ いきなりフェンダー!?

 エディ おじさんが貿易会社をやってて、当時は裕福だったから買ってくれてね。アンプはギブソンのを買って、「もう1本欲しい」って言ったら「いいよ」って。

 ユカイ アンプはギブソンって、いきなりそんないいものを。もう1本は何ですか?

 エディ テレキャスター。

 ユカイ 最初からフェンダー2本ですか!? 俺の時代でも高かったし、当時は円が安かったから、かなり高かったんじゃないですか。

 エディ どれぐらいしたんだろう。車1台ぐらい?(笑い)。日本で買ったら相当高かっただろうけど、香港は税金も安かったから3分の1ぐらいで買えたんじゃないかな。日本に帰ってきて、ひそかに楽しんで弾いてたら、そのうち近所で人気者になっちゃってさ。「あいつ、本物のギターを持ってる」って。当時、フェンダーやギブソンを模したインチキエレキがいっぱいあってね。

 ユカイ 俺たちが最初に入手したギターは、だいたいそっちです(笑い)。当時、フェンダー持ってるのって、ベンツに乗ってるぐらいレアだったんじゃないですか。昔はほとんど乗れる大人がいなかった。

 エディ 横浜では乗ってるヤツがいたんだよ。米軍基地にあったのを盗む悪ガキがいて。MGとかマスタングとかも、「3万円で買わないか。その代わり乗り潰してくれ」って。犯罪だよね。

 ユカイ 3万円って、60年代終盤の初任給ぐらいですね。当時の横浜、実に興味深い…。

 ☆エディ・バン 1947年6月22日生まれ。神奈川県横浜市出身。デイヴ平尾らとザ・ゴールデン・カップスを結成し、67年に「いとしのジザベル」でデビュー。グループ名は出演していたライブハウス・ゴールデンカップから。脱退、復帰を経て同グループは72年1月に解散。以後はソロで活躍。作曲した「横浜ホンキー・トンク・ブルース」は数々の歌手、俳優に歌われている。

 ☆ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。