【昭和ロックを語る時が来た!】織田哲郎 後のBOØWYにつながった「スピニッヂ・パワー」の“謎”明かす

2020年10月18日 10時00分

織田(左)から意外な裏話を引き出したユカイ

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た!:織田哲郎編】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(58)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。ゲストはシンガー・ソングライター、作曲家、プロデューサーとして多数のヒット曲を世に送り出した織田哲郎(62)。氷室京介も在籍した謎だらけのバンド「スピニッヂ・パワー」はどんなグループだったのか? 最初期からメンバーだった織田がその成り立ちを語る。

 ――前回は長戸大幸さんに呼ばれてスタジオに行き、ボーカルとして参加したスピニッヂ・パワーの「ポパイ・ザ・セーラーマン」(1978年)がディスコで大ヒットしていたという話でした

 織田 レコーディングから何か月か後に「あの時の曲、すげえ売れてるの知ってる?」って聞いてさ。そんなわけないじゃんと思いながらディスコに行ったら、本当にかかりまくってるんだよ。しかも何百人が同じ振り付けで踊って、♪ポパイ・ザ・セーラーマンの後、一斉に「ポッポー」って声を出してるわけ。何が起こってるんだこれは!?ってびっくりした。

 ユカイ 初レコーディングの曲でしょ。何百人が踊ってたら、そりゃ驚きますね。しかも遊びに行く感覚でスタジオに入った曲で。

 織田 そうそう。結果的に30万枚以上とか売れたんじゃないかな。

 ユカイ それだけ売れて、ギャラってどうでした?

 織田 レコーディングの後に1万円くれた。後で考えたら安いよね(笑い)。でもこっちにしたら、スタジオが見れた上にお金ももらえた!って喜んでたよ。

 ユカイ そこからシングルを何枚か出してましたよね。

 織田 スピニッヂ・パワーって、訳したらホウレンソウの力だからね。その名前でわかるように、もともと「ポパイ・ザ・セーラーマン」一発のために適当につけたバンド名なんだよ。あくまであの曲を売るための企画モノ。それが売れたものだから、じゃあもっと作ろうよとなった。

 ――2枚目のシングルは「バットマン」(78年)で、「ポパイ」と同じアメコミ路線でした

 織田 で、次の「ファンキー・ディスコ・プリンセス」(79年)って曲で俺がメインボーカルを取って、4枚目の「ヘイ・スイート・キャロライン」(79年)は俺が作った曲が初めてレコードになった。

 ユカイ 初レコーディングから1年もしないうちに曲提供もしてたんですか。どんな曲でした?

 織田「ハロー・ミスター・モンキー」(アラベスク、77年)みたいな曲(笑い)。はやっているディスコものみたいなのをやろう、っていう企画バンドだから。それも売れたんじゃないかな。

 ――ヒットの割にメンバーなどの詳細があまり伝わっていません

 織田 覆面バンドだったからね。しかも日本人じゃない設定。メンバーに外国人っぽい名前をつけてさ。洋楽じゃないとかけないディスコがあったから。もしかしたら今でも外国の曲だと思っている人、いるんじゃないかな。

 ユカイ 洋楽の体でやってたんだ。80年代ぐらいまで、邦楽より洋楽が上、みたいなのがあったからね。でも、そこでイギリスにいた織田さんの英語力が生きたでしょ。ちなみに織田さんはなんて名前?

 織田 エディー・ブルース。

 ユカイ OK、エディー(笑い)。途中からメディアに出るようになって、そのころには織田さんはいなかったよね?

 織田 売れちゃったものだから、ちゃんとバンドとしての活動をするように切り替えていこう、ってことになってさ。俺はスタジオでやる分にはいいけど、ライブもって話になった時に「ちょっと違うなぁ」と思って抜けさせてもらった。で、長戸さんが楽器のメンバーとボーカルを探してきて、加わったのが氷室京介。

 ユカイ そういう流れですか。スピニッヂ・パワーが後の、BOØWYにつながっていったわけですね。

〇…おだ・てつろう 東京都出身。シンガー・ソングライター、作曲家、プロデューサー。1979年デビュー。80年代半ば以降、作曲家として「シーズン・イン・ザ・サン」「負けないで」「おどるポンポコリン」などのヒット曲を手掛け、自身のシングル「いつまでも変わらぬ愛を」もミリオンセラーに。累計シングル販売数4000万枚以上。ダイアモンド☆ユカイらとのバンド「ROLL―B DINOSAUR」で2枚のアルバムをリリース。「織田哲郎 LIVE TOUR 2020 一寸先はYummy!」が10月24日に名古屋、25日に大阪、11月6日に東京で開催。詳細は公式サイト(t―oda.jp)へ。

〇…ダイアモンド・ユカイ 1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。最新ソロアルバム「The Best Respect Respect In Peace…」が発売中。