「恥の多い生涯を送って来ました」で始まる小説といえば、ご存じ太宰治の「人間失格」だが、発表されてから70年以上が過ぎた今、この国では太宰以上に恥ずかしい大人が増えているようだ。特に目に余るのが、インターネットに踊らされて恥をかいてしまう人、恥をかかないように頑張り過ぎている人…。その心理について、話題の新刊「恥ずかしい人たち」(新潮新書)の著者・中川淳一郎氏が具体例を挙げて解き明かした。あなたも当てはまっていませんか?

【恥①「ネットde真実」に目覚めてしまう】
 ネット上には新聞には書かれることもない眉唾レベルの情報がたくさんある。もはや一般常識だが、ようやくネットに触れるようになった中高年が危ないという。

「還暦を目前にした町議会議員がフェイスブックに差別的な書き込みをし大炎上し、辞職するという騒動がありました。いわゆる『ネトウヨ言説』を真に受け、『ネットde真実』に目覚めてしまったんですよ。彼が信じてたのは伝統あるガセネタですが、ネット情報をつなぎ合わせて適当な記事を作る『トレンドブログ』と呼ばれるクソサイトはアクセス数稼ぎをもくろんで、『○○は在日韓国人であるという話が持ち上がってる』と書くことでさらに信じ込んでしまう人がいるんです」(中川氏)

【恥②レストランで写真を撮り続ける】
“インスタ映え”を意識しているのは若い女のコだけだと思ったら大間違い。「知人と評判の店に入ろうとしたところ、入り口で男女2人組が写真を撮っていたんです。最初はおおらかな気持ちで撮り終えるのを待っていたのですが、店構え、2人の自撮り、それぞれのポーズ写真と一向に終わらない。隙を見て入店し、我々が生ビールで乾杯し終えたとき、やっとその2人組が入ってきました。店内でも“奇跡の一枚”を求めて撮り続け、結局その2人が注文したのは最初のドリンクのみでした。目の前に人がいるのにスマホを見続けるほうが常識なのでしょうか?」

【恥③いい大人がSNSで大ゲンカ】
 かつては「飲み屋で政治、野球、宗教の話は避けよ」と言われたものだが、SNS上では己の正義を疑わない者同士の不毛な戦いが日々繰り広げられている。「実際にSNSが世の中を動かすケースは増えています。ただどんなに『マスゴミが――』と騒いでも結局、政治でもエンタメでも世の中の空気を作っているのは変わらずテレビなんですよ。結局、私が『ウェブはバカと暇人のもの』を書いた11年前から構造はたいして変わっていません。バカがネットを使い続けた結果、やっぱりバカであり続けたのです」

【逆パターンで苦しむ人もいる】
 自分が恥ずかしい存在であることにまったく気づかない人がいる一方で、SNSで恥をかきたくがないゆえに苦悩している人もいる。

「食べるものも着るものも、まずインスタ映えするかどうかを気にしてしまう」(20代女性)、「リア充(=現実世界で充実している人)の投稿を見るたびに自分が情けなくなってストロングチューハイを飲んでいる」(30代男性)など他者の目を過剰に気にして自己が振り回されてしまっている状態、いわゆる“SNS疲れ”である。そうならないためにはどうすればいいのだろうか?

「結局、恥ずかしくない存在であろうとすることのほうがつらいんですよ。だからまず、人間は恥をかく生き物なんだと自覚しましょう。無理に“武装”してSNSなんかしなくていいし、むしろ身近な環境では自分の恥を出してしまったほうが楽。そして万が一、自分が恥ずかしいことをしてしまった場合はその人たちに慰めてもらうのがいいし、自分の大切な人が恥ずかしいことをしてしまったときは優しくしてあげてください」

 恥のある人生こそ私たちの真の姿。自分の恥に気づかない人生とは、ソクラテスもびっくりな「無恥の痴」なのかもしれない。

【番外編・とにかく偉そうなオッサン】
 実はこの取材を中川氏行きつけの居酒屋で行っている際にも“恥ずかしい人”が現れた。こちらがメディア関係者と察すると名刺交換を求め、「俺は○○さんと知り合い。元気にしてるかな?」と何度も赤ら顔で割り込んでくる自称業界人だ。

「本当にまれにみるひどさでしたね。僕が『すみません、取材中なんで…』と何度も迷惑をアピールしているのにまったく懲りずにやってくる。自分もオッサンですが、あそこまで常識がなく敬語が使えないオッサンがいるからこそ、逆に僕は若者から仕事をもらっているんだなと痛感しました(笑い)」

 ☆なかがわ・じゅんいちろう 1973年生まれ。ネットニュース編集者。博報堂で企業のPR業務に携わり、2001年に退社。雑誌のライター、「TVブロス」編集者等を経て現在に至る。著書に「ウェブはバカと暇人のもの」「夢、死ね!」「バカざんまい」など。