【昭和ロックを語る時が来た】キャシー中島が語るショーケンとのディスコ遭遇秘話

2020年05月09日 10時00分

キャシーにいろいろと質問するユカイ

【ダイアモンド☆ユカイ 昭和ロックを語る時が来た:キャシー中島編(6)】「レッド・ウォーリアーズ」のボーカル、ダイアモンド☆ユカイ(57)が、ゲストを招いて昭和時代に巻き起こった日本のロックムーブメントをひもとく。ゲストのキャシー中島(68)が今回語るのは、恵比寿にあったディスコでの秘話。昨年3月に亡くなった萩原健一さんのGS時代の印象、そして鈴木ヒロミツさんから頼まれたあるものとは? (隔週連載)

 ユカイ:GS時代のショーケンこと萩原健一さんと恵比寿で会ってたんですね。

 キャシー:モデルの仕事で行っていた恵比寿の仕事場の横に「中川三郎ディスコティック」があってね。そこにテンプターズやモップスが出て順番に演奏してたの。

 ――中川三郎さんは日本の「社交ダンスの父」と呼ばれる方で、恵比寿のお店は三女のゆきさんが1965年に開いた生演奏があるディスコですね

 キャシー:出演者と仲良くなって、テンプターズの大口広司さんとは「横浜でどんな曲がはやってるの? レコード手に入る?」「手に入ったら持ってくるわ」なんて話してた。

 ユカイ:やはり当時は「横浜が最先端」という意識があったんですね。

 キャシー:モップスの鈴木ヒロミツさんは、私を見て「PX入れる?」って聞いてきたの。PXっていうのは進駐軍向けのお店です。ヒロミツさんは「マルボロ買ってきて! ケントでもいいけど」って私に頼むわけ。そのころ、私は16歳だったかな。だから「年齢的にまだたばこは買えないよ」って言うと、「じゃあ誰かに頼んで買ってきてくれよ」って。しょうがないから知り合いのお兄さんにお願いして買ってもらって、1カートン渡したら超優遇されました(笑い)。それからちょいちょい頼まれたわ。

 ――当時、マルボロなど“洋モク”は高い関税がかけられ高級品のイメージでした。横浜で手に入る最新レコードや洋モクなどの“武器”もキャシーさんが当時のGSのメンバーと仲良くなれた理由のひとつなんですね

 キャシー:私がそうやってメンバーたちとやりとりしている時、「なんだこの女」って目で見てたのがショーケンでした(笑い)。見た目はかわいかったんだけど、とっつきにくい雰囲気を出してた。

 ユカイ:不良っぽい感じですか?

 キャシー:不良とは違うかな。不良は慣れてたけど、変わってるというか、ああいうタイプは私の周りにはいなかった。感じ悪かったから、私は近寄らないようにしてました(笑い)。

 ユカイ:まぁ、ショーケンさんらしいといえばらしいですね(笑い)。キャシーさんのこと気づいてなかったんですか?

 キャシー:私が勝野(洋、ショーケン、松田優作に続く3代目新人刑事として「太陽にほえろ!」に出演)と結婚した後、2人が話した時に「キャシーはどうしてる」と勝野に言ってたそうだから、私のことは認識してたみたい。

 ユカイ:キャシーさんといえば、キャロルやダウン・タウン・ブギウギ・バンドがレギュラー出演していた人気番組「ぎんざNOW!」(TBS)の初代アシスタントも務めてましたよね。

 キャシー:1972年、ちょうど私が20歳の時です。モデルをやっていたけど、若い子が次々出てきてね。背が高くて手足も長いから、CMなんかみんなそっちにいっちゃうの。この先どうしようと思ってたら、周りから「キャシーはしゃべりが面白いからタレントになれば」と言われて。ちょうどそんな時にお話をいただいたんです。

 ユカイ:経験がない状態からだったんですね。司会のせんだみつおさんもラジオはやってたけど、テレビは初だったとか。
 キャシー あと、ジェネミスというブラジル系の双子の女の子。テレビの生放送なんてやったことがない人ばかりでしょ。そのためにTBSはびっくりするような“特訓”をしてくれたの。(次回に続く)

☆ダイアモンド・ユカイ=1962年3月12日生まれ。東京都出身。86年にレッド・ウォーリアーズのボーカルとしてデビュー。89年に解散後、数度再結成。最新ソロアルバム「The Best Respect Respect In Peace…」が発売中。

☆きゃしー・なかじま=1952年2月6日生まれ。米・ハワイ出身。3歳のころから日本に拠点を移し、69年にCMモデルとしてデビュー。歌手、テレビタレントとして活躍する。72年からパッチワークを始める。79年に俳優の勝野洋と結婚。静岡県御殿場市に移住し、87年に同市にパッチワークの教室をオープン。現在はタレントとして活動する一方、全国に6店舗のキルトスタジオを開き、後進の指導に励んでいる。