「BiSH」ブレークに欠かせない松隈ケンタを口説いた一言

2020年04月18日 10時30分

松隈ケンタ氏はBiSHのほとんどの曲を手がけている。17年リリースのこのアルバムは全曲が松隈氏の作曲だ

【WACK渡辺淳之介社長インタビュー「BiSHができるまで」(5)】「楽器を持たないパンクバンド」として大人気の女性6人組グループ「BiSH」。人気になった裏には“仕掛け人”として知られるプロデューサー、所属事務所WACKの渡辺淳之介社長(35)の存在がある。渡辺社長はいかにして独自のプロデュース術を手に入れたのか。今回はBiSH、そしてWACKのアーティストを語る上で外せない作曲家・プロデューサー、松隈ケンタ(40)との出会いについて。

 ――前回、大学時代に「デートピア」で働き始めて、松隈ケンタさんと出会ったというお話でした。これは今のBiSHのブレークにつながる重要な出会いですね

 渡辺氏:4年生の終わりから「デートピア」で働き始め、学生社員みたいになってました。僕はスタジオに配属され、受付とかブッキングとか掃除とか、バイトみたいな仕事をしてたんですね。そのスタジオで松隈さんがバイトしてたんです。ちょうどメジャーデビューしたバンド「Buzz72+」が活動休止したころですね。

 ――Buzz72+は松隈さんがリーダーを務め、2005年にエイベックスからメジャーデビュー。07年いっぱいで活動を休止。最近活動を再開しました

 渡辺氏:松隈さんの方が5歳年上で、僕が社員で松隈さんがバイトといういびつな関係だったんですが、一緒にテレビを見たり、音楽の話をしたり、「これいいぞ」って曲を教えてもらったりしているうちに仲良くなったんです。コンペに出すために作った曲を聴かせてもらったら、すごくいい! Buzz72+の曲もめっちゃいい。聴く曲聴く曲、全部好きでした。いつか僕がアーティストを手掛けることになったら、松隈さんと組みたいとそのころから思ってました。

 ――22~23歳ごろからですか!

 渡辺氏:それに松隈さんは僕よりもちゃんと“メジャー”というものを捉えていて、「売れてやる」という気持ちもしっかり持ってました。僕がメジャーを意識するようになったのは、松隈さんに出会ってからです。それで言ったんですよ。「僕がエイベックスのマックス松浦(勝人)になるから、小室哲哉になってほしい。一緒にやりたいです」と。デートピアに入ってちょっとたったころでした(笑い)。

 ――まだ大学卒業する前ですよね!? 学生の時から!

 渡辺氏:大学は卒業に6年かかりましたから(笑い)。松隈さんの曲って本当に良くて、彼の音楽を聴いてほしいという気持ちでプロモーションしてきました。松隈さんのおかげで今の僕がいるんです。

 ――ところで、大学の方は

 渡辺氏:2年間で8か10単位ぐらいしか取ってなくて、3年までロクに行ってなかったし、実は中退しようと思ってたんですよ。でも親から「大学だけは卒業して」と泣きながら言われて。よく考えたら、僕は大検は取ったけど高校は行ってないし、ここまできて中退するのと卒業するのとでは、学歴的にだいぶ違う。親にも申し訳ないと思って、4年からはちゃんとテストを受けて単位を取るようになりました。

 ――よくそこから卒業できましたね

 渡辺氏:優しい後輩にだいぶ助けてもらったんです。卒業できて良かったぁ。いまだに「単位が足りなくて卒業できない!」って夢を見ますよ。

 ――就職活動は

 渡辺氏:4年でいったん就活して、大手レコード会社とかテレビ局とか受けたけど、軒並み内定をもらえず。「必要とされてない。人生終わった」と絶望的な気持ちになりました。それでもやはり音楽に関わっていたいと、大手以外の事務所やインディーズレコード会社も受け、デートピアに「すぐ来い」と言われて入ることになったんです。

 ――それで学生時代から働いていたわけですか。そこから転職し「BiS」を立ち上げた会社へ

 渡辺氏:結局、デートピアは1年いないぐらいでつばさレコードに移ったんですね。移る時、うしろめたさから「大学は卒業した」ってウソをついた気がします。いや、たぶん、ウソをつきました(笑い)。

☆わたなべ・じゅんのすけ=1984年生まれ。東京都出身。早稲田大学卒。デートピア、つばさレコーズを経て2014年8月に株式会社WACK設立。代表取締役に就任。つばさレコーズ時代にBiSを立ち上げ、マネジャー兼プロデューサーとして数々の伝説的プロモーションを行う。14年7月に第1期BiSは解散。15年1月に「BiSをもう一度始める」とBiSHを始動した。