ジャニーズ事務所の勢力争いに端を発したSMAP解散騒動だが、そもそも事務所でその手腕が買われていたSMAP育ての親・I女史が「SMAPと独立」の大勝負になぜ打って出たのか、そして、なぜ失敗したのか。

 騒動の根底に、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長の姉であるメリー喜多川副社長とその娘・藤島ジュリー景子副社長と、I女史一派による派閥争いがあることは、もはや公然の事実だ。昨年1月「週刊文春」のインタビューでメリー氏がI女史を呼びつけ「対立するなら辞めなさい」などと叱責したことで、一気に表面化した。

 これを機に、SMAPと一緒に独立を本格的に視野に入れるようになったI女史だが、その動きは昨夏、一度は収まったかに見えた。

「ジャニーさんが間に入り、I女史にもそれなりの条件を出して矛を収めさせたはずだった。しかし、I女史はメリーさんらの許可を取らず、昨年の『紅白歌合戦』の司会にSMAPや木村拓哉を押し込もうとして決裂してしまった」と芸能プロ関係者。

 I女史はそのころ、メリー氏、その娘ジュリー氏を相手にしても一歩も引かないくらいだった。

「ジャニーズ幹部と大モメしているとなった段階で、芸能界の様々な関係者からIさんに電話が殺到したそうです。そのほとんどが『ジャニーズを辞めたら、一緒にやらないか』という内容だったのです。これまでジャニーズを辞めるとマネジャーも干されるというのが定説でしたが、協力的な声が多く届き、I女史は『いける!』と踏んだのでは。そのころはジュリーさんと仲が良いというだけで旧知の芸能関係者と“絶縁”するなど、Iさんはイケイケでした。多少のおごりもあったと思います」とテレビ局関係者。

 I女史の当初の計画では、SMAP5人全員を引き連れ、2016年春に独立という青写真だったといわれる。だが、本紙既報通り、妻・工藤静香の“工作”もあり、木村拓哉の引き抜きに失敗。I女史が芸能界を去る可能性も出てきた。