ジャニー喜多川さん アイドル帝国を築いた“超絶”伝説

2019年07月11日 11時00分

ジャニー喜多川さん

“国民的アイドル”のSMAP、嵐など数々の人気グループを輩出したジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さんが、解離性脳動脈瘤によるくも膜下出血のため9日午後4時47分、都内の病院で亡くなった。87歳。同事務所が発表した。一代で「帝国」と呼ばれるまでにジャニーズ事務所を大きく育て上げてきたジャニーさん。日本中の多くのファンを熱狂させるだけのタレントを発掘する“超眼力”に加え、数々の伝説的なエピソードがあった。

 ジャニーさんは、将来有望なタレントの卵を見極める眼力には定評があった。それはただの眼力ではなく“超眼力”と呼べるものだ。

「育成が前提だから、オーディションで対象になるのは、当然、10代前半の子たち。でも成長するにしたがって、顔つきが変わるから選ぶのが難しい。子供のころはかわいいのに、大人になるとイマイチという例はザラにあるが『大人になってもこの子ならいける!』と先々の成長の見極めができるのは、ジャニーさんだけだったといわれている」(芸能プロ関係者)

 届いた履歴書に自ら目を通し、顔よりも「やる気」や「熱いハート」を持っている子たちを選び、無償でダンスレッスンを受けさせていたという。人気タレントの育成に情熱を注いでいたことから、「『ジャニーさんが亡くなったら、ジャニーズを辞める』と口にするタレントは多かった」と同関係者。それほど慕われていたのだ。

 ただ、当の本人は健康に気を使い、一時は“不老不死宣言”までしていたこともある。

「80歳を迎えたころ、事務所の将来を不安視していたのか、親しい人には『俺は死なない。まだまだやるんだ』と熱く語っていたなんて話もある」(大手芸能プロ幹部)

 死なないのは、肉体的にも物理的にも当然、不可能なことだが、ジャニーさんの口から出てくるこの手の“伝説”は数多くある。

「あるときエレベーターに乗っていたら、何かの弾みで止まってしまった。2時間ほど閉じ込められて大変だったそうですが、その話がいつの間にか“2日間も閉じ込められていた”という話に盛られて、それでも飲まず食わずでも大丈夫だった、という話になっていた」(同幹部)

 さらに、あおい輝彦らの歌って踊れる男性アイドルグループ“初代”ジャニーズを結成した目的も「本当かどうか分からないが、ジャニーさんはアメリカのCIA(中央情報局)の意向を受けて、戦後、日本にアメリカンポップスやダンスミュージック、ミュージカルなどを根付かせるために、ジャニーズ事務所をつくったという話を本人がしていたと聞いたことがある」(同幹部)。

 晩年のジャニーさんを元気にさせたものが2つあった。1つは東京五輪だ。

「2020年の東京五輪が決まったときには、是が非でも五輪に関わるんだという意気込みを見せていたそうです。ちょうどそのころは、タレントの舞台を見に行かなかったりと、体調不安がささやかれていたのですが、五輪が決まった途端に急に元気になって、劇場に頻繁に足を運ぶようになったそうです」(前出の芸能プロ関係者)

 もう一つが滝沢秀明氏を自分の後継者に決めたことだ。今年「ジャニーズアイランド」を設立し、滝沢氏を社長に就任させた。タレントを辞めた滝沢氏は、ジュニアの育成や舞台のプロデュースなどに専念する“裏方”への道を歩むことを決めたのだ。

 あるテレビ局関係者は「これまでジャニーさんがやり続けてきたことをそのまま受け継ぎ、ジャニーさんは第一線から退くという形を取りました。タッキーがこのことを了承したときにジャニーさんは、大喜びしていましたね」と明かす。

 それもそのはず、滝沢氏に後継者への道を示して、導いたのがジャニーさんだったからだ。

「それこそ10年近く、ジャニーズJr.のオーディションの時にジャニーさんはタッキーを自分の横につけて“眼力”を教え込みましたし、舞台のプロデュースもタッキーに意見を聞いたりしていた」と前出の芸能関係者が明かすように、自らが英才教育を施していた。

 そんな滝沢氏だからこそ、「ジャニーズアイランド」の社長に就任してから着々と実績をつくり続けている。天国のジャニーさんも、滝沢氏がどんなアイドルを世に送り出すのか、さぞかし楽しみに見守っていることだろう。