【この人の哲学】「夜空ノムコウ」を聞いたジャニーさんからクビ通告

2020年01月03日 10時10分

【この人の哲学】ジャニーズで30年以上にわたって音楽プロデューサーとして活躍し、「夜空ノムコウ」などあまたのヒット曲を手掛けた鎌田俊哉氏。裏方に回った経緯、ジャニー喜多川氏や大物ミュージシャンと接する中で得た“哲学”を語ります。最終回はSMAPについて。プロデュースする中でジャニーさんが鎌田氏にかけた深すぎる言葉とは?

 ――鎌田さんがジャニーズで手掛けたグループのひとつにSMAPがあります。最初は人気が出ませんでしたが、林田健司の「$10」(1993年11月発売)を歌ってから人気に火がつきました

 鎌田氏:林田君も僕がプロデュースしていたアーティストです。その前のSMAPはCD売り上げが10万枚前後、光GENJIがデビューから100万枚とか売っていましたから、肩身の狭い状況でした。

 ――「ミダラー」なんて言葉が出てきたり、アイドルっぽくない曲です

 鎌田氏:当時のアイドルにはまずない曲でした。社長に持っていったら「なにこの曲。1ダラー、2ダラー、ミダラーってどういう意味?」「意味なんかないですよ」「そうだよね。YOU、ひどいね」って言われ、某テレビ局にも大反対されました。

 ――SMAPはどんな意図でプロデュースしましたか

 鎌田氏:僕が常々言ってたことがあるんです。ひとつは、アイドルファンって中学・高校卒業とともにファンを卒業して、バンドや洋楽にいっちゃう。そこを「卒業しないようにする!」ということ。もうひとつは、当時、アイドルの楽曲はどれだけ売れてもFMではかけてくれなかった。だから「FMでアイドルの曲がかかるようにする」ということです。実現させようと心に決めていました。

 ――確かに、どちらもかつてはそうでした

 鎌田氏:「$10」を出したしばらく後、雪の日でした。夜中3時にレコーディングが終わって、ビクターのスタジオから帰っている時、FMを聴いていたんです。すると渋谷の今のヒカリエのあたりでこの曲が流れたんです。DJが「アイドルなんだけど、この曲好きなんですよね」と言って。「夢がかなった!」と思ったあの瞬間のこと、今も鮮明に思い出します。その時は「もう辞めてもいいかな!」と思いました。

 ――そして「Hey Heyおおきに毎度あり」(94年3月)で初のオリコン1位に

 鎌田氏:実はあの曲はジャニーさんにめちゃ怒られました。関西人でもないのに関西弁で、こんなふざけてって。「がんばりましょう」(94年9月)の時はビクターと話して、アイドルでは初めてメンバーがバラバラに全国のFM局にプロモーションに行きました。

 ――この曲から連続1位を記録するなど、人気が定着した印象です。売れなかった初期の段階で、見捨てるという選択肢はなかったんですか

 鎌田氏:それは絶対にないです。始めたものは成功するまで続けるのです。だからこそ社長の許可をもらいながら、お笑いをやったり、ソロで活動したり、ずーっと試行錯誤をしてました。

 ――そしてSMAPはファンが卒業することなく、長く愛されるグループになりました。人気になり、ジャニーさんから何か言葉をかけられましたか

 鎌田氏:いいえ。すぐ気持ちは次をどうするかに切り替わっていますから、売れたってどうってことないんです。それは社長も僕もそうでした。曲を褒められたのはたった一曲、「夜空ノムコウ」(98年1月)だけです。

 ――一曲だけですか!?

 鎌田氏:はい。ジャニーさんが「鎌ちゃん、この曲いいね。詞もメロもいいよ。SMAPが少年から青年に成長していく今のタイミングにぴったり。だからYOU、お疲れさん。さようなら」って。

 ――ええええ! クビ宣告ですか

 鎌田氏:はい。「クビですか?」「そうだね。だってYOU、これ以上の曲、絶対に作れないから」って。

 ――クリエーターとしての深みがありすぎる言葉…

 鎌田氏:そこが社長のすごいところですよ。その後も顔を見るたびに「まだいるの?」って(笑い)。しかし、ジャニーズで32年続けた制作マンは他にいませんよね~。

★プロフィル=かまだ・としや 東京都世田谷区出身。高校在学中に17歳でプロデビューし、子供ばんど、五十嵐浩晃のツアーバンドなどを経てプロデューサーに。ジャニーズのほかKiroroの「長い間」「未来へ」など数々のヒット曲をプロデュース。現在は中国にも拠点を持つ。悦音堂文化(北京)有限公司代表。カンタナ代表。