【この人の哲学(最終回)】リバイバルヒットしている「め組のひと」や中森明菜の「少女A」、チェッカーズ、矢沢永吉の数々のヒット曲で知られる作詞家の売野雅勇氏。売野氏に時代の“潮目”を気づかせ、車も家も替えさせたあるミュージシャンとは?

 ――前回は矢沢永吉さんのお話でした。他に印象に強く残っているアーティストは

 売野氏:坂本龍一さんですね。本物の知性を持ったインテリです。本当に博識です。レコーディング前に本を読んでたから、「何の本ですか?」と聞いたら「量子論の本なんだけど、本当は高校生のころに読んでなくちゃいけないのにね。今ごろ読んでるの」と言われて驚きました。音楽家であそこまで幅広く豊富な知識を持っている人、いないんじゃないかな。

 ――影響を受けましたか

 売野氏:知識欲を刺激されて、勉強しなきゃと思いましたね。坂本さんの話はもう20年以上前だけど、今もあらゆるジャンルの本を読んでます。並行して5冊ぐらい、月に40冊ぐらい読みます。詞とは関係ない、知識欲、好奇心から手を伸ばす本ばかりですが、関係ない本を読んでいると、作詞する時に返ってくるんです。

 ――気になった本は

 売野氏:30年、40年ぶりに太宰治の「人間失格」を読んで、驚きました。彼は文章が本当にうまい。三島由紀夫は「僕は太宰さんの文学は嫌い」と言いながら、その才能を認めていた。その意味がやっとわかりました。以前は気づいてなかったけど、初めて太宰の才能がわかりました。文章がともかく品格があって、美しいのです。

 ――そうなんですね!

 売野氏:太宰はイメージで語られがちだけど、計り知れない才能の持ち主です。そういえば、会ったことがない人から影響を受けたこともありました。その人を知って車も住む場所も替えました。

 ――誰ですか

 売野氏:Mr.Childrenの桜井和寿君です。ミスチルの曲がヒットした1994年、バブルがはじけたころ。彼らの曲を聴いて、こういう真面目な歌が受けているのか。時代の潮目だ、と直感したんですよ。「Japan As №1」の時代は永遠に終わった。真面目で質実な時代が始まっている。自分のOSのバージョンを変えなきゃ対応できないと。それで桜井君のディレクターに聞いたんです。「彼はどんな車に乗ってるの?」と。

 ――高級車ですか

 売野氏:これが超実用的なフォルクスワーゲンのワゴン。そうか、こういうことだよなと思って、当時乗っていた古いベンツとスポーツカーを処分して、ボルボのステーションワゴンに替えました。質実剛健で実用的な車にね。でも、遊びがないというか、運転していてワクワクしないから、逆に自分はこういう車に乗ってちゃいけないと思って3年ぐらいで売りました。

 ――車の影響ってあるんですか

 売野氏:車は人生が向かう方向のシンボルですから、生活を規定します。それに官能にもシグナルを送り続けるから重大です。住む場所と、周囲の女性も影響が大きい。呼吸と一緒で、その場所、人の何かを体に取り込んでいます。で、当時、飯倉(東京タワーの近く)に住んでいたんだけど、ボルボを売ってこのままここに住んでちゃダメだと思って、東京の右側に引っ越しました。

 ――車の次は家。創作活動のために環境をガラッと変えたんですね

 売野氏:ちょうど芝居を書いてて、人間や生活を描かなきゃいけないのに、浮かれた感じの場所じゃ良くないとね。引っ越し先は上野池之端。1年とたたないうちに良い作品、書きたかった作品が書けました。今も東京の右半分に住んでます。人の営みの真実はこっちにあると思う。

 ――最後にいま力を入れてることは

 売野氏:面白いエンタメをやりたいと思っていて、ロシア出身の女性ボーカルユニット「Max Lux」をプロデュースしています。歌がうまいのは当たり前。2人ともとてもきれいです。近くでライブがあったら、ぜひ見に行ってください。

★プロフィル=うりの・まさお 1951年生まれ。栃木県出身。上智大学文学部英文学科卒業後、コピーライター、ファッション誌副編集長を経て作詞家に。82年に中森明菜の「少女A」が大ヒット。チェッカーズ、郷ひろみ、矢沢永吉、SMAPなど数々のアーティストに作品を提供。映画・演劇の脚本・監督・プロデュースも手掛ける。著書に「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」。ロシア出身の美貌のデュオ「Max Lux」をプロデュース。