【この人の哲学】売野雅勇氏 人に流されるのもいい

2019年10月11日 19時45分

人生哲学を語った売野氏

【この人の哲学(1)】中森明菜の「少女A」やチェッカーズ、矢沢永吉の数々のヒット曲で知られる作詞家の売野雅勇氏が登場。意外にも、「人と時代に流された」結果、作詞家になったという。「運」と「出会い」に重きを置く、売野氏の人生哲学とは?

 ――作詞家になる前はコピーライターだったそうですが、どのような経緯で作詞をすることになったんですか

 売野氏:うーん、もともとは音楽ディレクター志望だったんですよ。コピーライターになったのは、オイルショックがきっかけですね。

 ――え!! どういうことですか!?

 売野氏:大学生の時、就職活動は音楽とコピーライターの2本立てで受けてました。というのは、音楽が好きというのと、あと、基本原理として、業務的に酒席が多くある営業職は避けたかったんです。大学でアメリカンフットボール部にいて、体育会はお酒を飲まされるでしょ。飲めない体質だから本当に困ったんです。

 ――音楽方面の就活はどのように

 売野氏:CBS・ソニー(現ソニー・ミュージック)とニッポン放送(LF)の音楽ディレクターの試験を受けて、CBS・ソニーは落ちたんだけど、LFは最終面接まで残りました。当事者に聞いたら7人いたそうで、合格したのは2人。僕も含め落ちた5人には無条件でレコード会社のポニー(現ポニーキャニオン)への推薦状を出すと言われました。

 ――断ったんですか

 売野氏:当時のポニーはまだ小さい会社だったから、ポニーなら行かないと。あのころの僕はなんだかメジャー志向があったんですね。今だったら喜んで行ってますよ。バカだよね(笑い)。結果的にはこの選択が今に結びつくんだけど。

 ――その後は

 売野氏:就職浪人しようと決めてたら、オイルショック(1973年)が来たんですよ。大学から「就職決まっている人は卒業しなさい」と言われてね。上智大学でそんなアナウンスが出たの、後にも先にもこの一回だけだと思う。それで受かっていた萬年社に入ったんです。大阪に本社があった最も古い広告会社です。

 ――そしてコピーライターに

 売野氏:2年ぐらいコピーライターをやってるうちに、やっぱり音楽に近づきたいという気持ちが湧き上がってきましてね。僕の憧れの存在は映画・音楽評論家の今野雄二さん。ああなるにはどうしたらいいんだろうと考えてました。そのころ、新聞で東急エージェンシーインターナショナルの「音楽に詳しいコピーライター募集」という三行広告を見つけて、切り抜いて自宅の壁に貼ってたんです。

 ――希望の仕事に近い

 売野氏:とりあえずは。でも応募資格を見ると、26歳以上、経験3年以上とあって、その時の僕は25歳でコピーライター歴2年半。資格を満たしてなくてね。

 ――諦めたんですか

 売野氏:それがね、ある日、萬年社の同期がうちに泊まりに来て、その切り抜きを見つけてね。「どうしようかなと思ってる」と言ったら、そいつは「絶対行った方がいい」と。「どうして?」と聞いたら、「俺たちはすごい苦労して、100倍とかの競争率を勝って8人だけ入った。掲載費3万円ぐらいの広告でそれを捨てる人生ってカッコイイ。売野、やってくれ!」と言われたんだね。

 ――あり得ない助言!

 売野氏:それで「カッコイイか。じゃあ行くよ!」ってすぐ応募しました。完璧に流された(笑い)。僕の意思なんかないよ(笑い)。彼がいなきゃ、うちに泊まりに来なきゃ、そのまま萬年社にいたかもしれない。運命に対する勘さえ良ければ、人に流されるのもいいんですね。(続く)

★プロフィル=うりの・まさお 1951年生まれ。栃木県出身。上智大学文学部英文学科卒業後、コピーライター、ファッション誌副編集長を経て作詞家に。82年に中森明菜の「少女A」が大ヒット。チェッカーズ、郷ひろみ、矢沢永吉、SMAPなど数々のアーティストに作品を提供。映画・演劇の脚本・監督・プロデュースも手掛ける。著書に「砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の日々」。ロシア出身の美貌のデュオ「Max Lux」をプロデュース。