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急死・ペギー葉山さんが明かした「一番好きな曲」


本紙のインタビューに大いに語ったペギー葉山さん(1971年11月)

【団塊記者の取材回顧録】歌手のペギー葉山(本名・森シゲ子)さんが12日午前11時55分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。生涯現役を貫いたペギーさん。9月にデビュー65周年の記念コンサートを予定するなど精力的に活動を続けてきた中、突然の訃報が流れた。

 ペギーさんは1933年12月9日、東京・四谷の生まれで、青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)在学中から進駐軍のキャンプで歌っていた。卒業後の52年にキングレコードから「ドミノ」「火の接吻」でレコードデビュー。59年、「南国土佐を後にして」が大ヒットして歌手としての地位を確立する。

 60年、米ミュージカル映画「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌「ドレミの歌」を自身で訳詞して歌った同名曲がヒット。音楽の教科書にも掲載されるなど親しまれた。さらには「学生時代」「ラ・ノビア」など数々のヒット曲で国民的歌手として一世を風靡した。65年に俳優の根上淳さん(2005年、82歳で死去)と結婚。おしどり夫婦として知られた。

 1971年11月3日、本紙のインタビューに大いに語ったことがあった。当時37歳。

 進駐軍のキャンプで歌っていた当時を振り返って「あの時代は外人歌手のものまねで、私の歌も耳からスタートしたジャズだったし、ドリス・デイの影響が強かったですね」という。

 ジャズ歌手ペギーを国民的人気歌手にしたのが「南国土佐を後にして」だった。

「演歌調といいますか、私にとってあの種の歌は初めてでした。それに、あれほどヒットするとは思ってませんでした」

 200万枚の大ヒットとなり、都内のあるレコード店では1日で8000枚売れた。

「あの『南国土佐――』のおかげで、それまでの私のイメージも変わり、自分のものをつかんだことは確かです」

 人気が沸騰して過密スケジュールになり63年、気胸を患い、半年間休養したこともあった。その闘病中に「ラ・ノビア」がヒット。

「あの曲にはほんとに恩を感じています。苦しい毎日のなかでヒットしてくれただけに、一番好きな曲です」

 ベテラン歌手として若い歌手にアドバイスも。「スターになっているときこそ、若い人には厳しさを感じてほしい。何年か下積み生活を送ってきた人、その上に築かれたものは強いですけどね」

 歌手として数々のヒット曲を出して活躍し、さらには女性として初めて日本歌手協会会長を務めるなど歌謡界に大きな足跡を残した。

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