NGT48からの卒業を発表した荻野由佳(22)が、秋の風物詩「中秋の名月」にあたる21日、発表後初めて今の心境を明かした。浴衣姿で和やかに撮影に応じていた荻野だが、アイドル活動を振り返った取材では何度も涙をぬぐうシーンも。「卒業をするので、ちゃんと話したい」と真っすぐ前を見据え、本音で語った。

 AKB48のオーディションに5度落選しながら夢をあきらめなかった荻野は、2015年の「第2回AKB48グループドラフト会議」に参加。同年、新潟を拠点に立ち上がった姉妹グループ・NGT48から指名され、1期生メンバーとして加入した〝苦労人〟だ。

「卒業発表は悩みました。自分から『NGT48』が外れたときに何が残るんだろう、と。2年前にはNGT48は大変な時期もあって…。私はグループが大好きで、私自身もずっとアイドルになりたくてようやくなれた。何かあったから逃げて辞めるとかは絶対に嫌だった。NGT48に何かを残したいと思って」

 19年にメンバーの自宅に男性ファンが押しかける被害に起因した騒動が起きた。昨年はコロナ禍もあり、グループは思うような活動ができなかったが、今年6月に約1年ぶりに新曲を発売した。

 来月30日には新潟市のライブ会場・朱鷺メッセで、昼にNGT48の単独コンサート、夜に自身の卒業コンサートを開催。18年6月に加入した2期生ら後輩にとっては、これほど大きなステージは初。荻野が〝何かを残したい〟と語ったものの一つだ。

「『NGT48に入ってよかった』と思ってもらえるようなステージを一番に考えています。卒コンも、私より『後輩のみんなが辞めずに続けてきてよかったな』と思ってもらえて、活力になれるような内容にしたい。新潟に来てくれた後輩、両親の方ともお話をさせていただいたこともあって、『娘は本当に夢を持って新潟に行った』と聞いたときは涙が止まらなかった。私たち1期生のせいで夢を崩してしまったのかなと思ったりもして」

 荻野といえば、17年の第9回選抜総選挙で、前年の圏外(95位)から速報順位で1位となり、話題になった。最終順位も5位で「神7」入り。翌18年の第10回総選挙でも速報1位、最終4位に入るなどAKBグループ全体の中心メンバーとして活躍した。

 普段はおとなしく後輩に口を出すことも少ないというが、卒業まで自身の経験なども「伝えていきたい」と誓った。

 総選挙をきっかけに「シンデレラガール」と呼ばれ、大手芸能事務所「ホリプロ」からオファーを受けて移籍。人生を激変させたAKBグループ最大のイベントについて聞くと、荻野は涙を見せつつ振り返った。

「うれしかったんですけど、怖かった。無名なアイドルだったので、『不正だ』とか言われて…。でも、そう思われるのも無理もない。そう思う方にも認めてもらえるように活動を頑張ろうと思いました。当時は先輩に付いていくのに必死で毎日泣いちゃってたくらい弱い子だったんですけど、今は『総選挙があったからこそ私がある』と思えます。総選挙で人生が180度変わった。応援してくださる方と含めてアイドル人生で一番感謝をしているイベントです」

 自身は埼玉県出身。高校生で親元を離れ、新潟という土地で仲間と出会い、笑って泣いて6年という月日を過ごした。思い出は尽きないが、もっとも印象的なのは加入直後の新潟駅での言葉だ。

「新潟駅で1人で名物のへぎそばを食べていたんです。そこにおじいちゃん、おばあちゃん夫婦がいらっしゃって『NGTの子だよね? これから頑張ってね!』と一緒に食べたんです。新潟の温かさとか人情深さを感じて。『新潟にアイドルができたことが本当にうれしいよ!』と街で声を掛けられることも多くて、本当に新潟でよかったな、NGTでよかったなと今でも思っています」

 座右の銘は「100点よりも100%」。卒業コンサートまでの期間も全力で走る姿が見られそうだ。

☆おぎの・ゆか 1999年2月16日生まれ。埼玉県出身。15年5月「第2回AKB48グループドラフト会議」でNGT48に指名され、加入。17年の第9回選抜総選挙で速報1位となり、一躍注目メンバーに。最終結果も5位となり「シンデレラガール」と呼ばれた。翌18年の第10回選抜総選挙でも速報1位、最終4位となり、AKBグループの中心メンバーとして活躍。7月23日の劇場公演で卒業を発表した。