カンカン帽にメガネ、口ひげがトレードマークだった落語家・月亭可朝(本名・鈴木傑=すずき・まさる)さんが3月28日午前3時28分、急性肺線維症のため兵庫県内の病院で亡くなっていたことが9日、分かった。80歳だった。上方落語協会が書面で発表した。通夜及び告別式は密葬で営まれたという。可朝さんは2010年11~12月、本紙で「ヤンチャ人生とやばい話」を連載していたことがある。破天荒すぎる人生をあらためて振り返った――。

 可朝さんは1958年、故3代目林家染丸さんに入門。翌年に林家染奴の芸名でデビューしたが、女性問題でわずか1年で破門に。その後、故3代目桂米朝さんに再入門し、2代目桂小米朝を名乗った後、68年に芸名を月亭可朝に改めた。

 69年にはコミックソング「嘆きのボイン」が約80万枚の大ヒット。笑福亭仁鶴(81)、桂三枝(現・文枝=74)とともに「関西三羽烏」と呼ばれ人気を博した。

 だが71年には「何も考えずに弾みで」参院選に立候補。“一夫多妻制の確立”を公約に掲げたが、あえなく落選した。79年には野球賭博で逮捕。2008年にはストーカー事件でも逮捕された。

 酒と女とバクチの話題に事欠かなかった可朝さんは本紙の連載でも、破天荒なエピソードを明かしている。

「岡山のデパートでショーがあり、女子大生歌手と一緒やった。終わった後、飲みに行き、いくところまでいったんや。3回もやったんやで。そしたら1週間後、男のマネジャーから『あの子が妊娠してる。このことが広まったら可朝さん困るやろ。250万円出せ』って脅迫の電話があった。調べたら美人局(つつもたせ)やったんや。裁判は4年かかって全面勝利やった。裁判所で『据え膳食わぬは男の恥』いうが、『据え膳食うたら男の恥』に変えてくれ言うたら、裁判官笑とった」

 前出のストーカー事件については「『警察でも自衛隊でも電話せんかい』と怒ったら、ホンマに警察に相談しよった。一日に15~16回、電話かけたらストーカーいうことで逮捕されてもうた。ダブル不倫で8年間一緒に寝てた人間が何でストーカーやねん」。相手の女性とは「仲良くまた付き合ってるよ」とも明かした。さらに「70歳超えたら女のケツを追いかけるぐらい、法律で締めんとホメてやらんと。色気の問題はそんでええねん」と持論を展開している。

 無類のバクチ好きでもあった可朝さん。野球賭博については「お笑いの世界でもバクチ好きはおりまんのや。そんで警察が『これ以上、野球賭博が広がったらいかん。取り締まりせなアカン』ということになって、その代表が可朝いうことになって逮捕されたっちゅうわけや。チャンバラトリオのゆうき哲也、間寛平も捕まった。これは見せしめやったんやね。そんで芸能界から野球賭博は一掃され、それ以降は一切なくなった」。

 また連載当時、大相撲の野球賭博問題が話題になっていたが、可朝さんは「琴光喜は賭け金30万円とか言ってるけど、ワシら1日1000万円賭けてたで」と堂々と話していた。

 結局、野球賭博では単純賭博罪で罰金10万円の略式命令を受け、レギュラー番組を全て降板することになったが、この時、手を差し伸べたのが故立川談志さんだった。

「東京の独演会に『しょげないで落語を元気にやろうよ』って呼んでくれた。うれしかったね」

 ヒット曲「嘆きのボイン」は、意外なところで誕生した。

「大阪・箕面のホテルのプールで公開放送で漫談をやることになり、おっぱいやお尻をネタにした新しい歌を作ろうと思ったけど、前日になってもできへん。そこで、芸能プロ主催のポーカー大会に出かけた。金賭けてるやつやから違法で、警察が入れば即逮捕やで。ツイてなくて降りてばっかりやったけど、その休憩中に『ボインは赤ちゃんが吸うためにあるんやでぇ~』のフレーズを思いついたんや」

 飲む・打つ・買うを地で行く破天荒な人生を送った可朝さんだった。