「野球盤」60周年!タイトルに名前を使われた2選手は?

2018年04月07日 11時00分

初代野球盤(手前)と最新の「3Dエースオーロラビジョン」(奥)

 エポック社の家庭用ボードゲーム「野球盤」が生まれてから今年で60周年。日本を中心に米国、韓国など数か国で71機種、累計約1500万台を販売したロングセラー商品だ。昔の子供たちは、草野球が終わっても野球盤で遊んだもの。文字通り野球漬けの日々だった。誰もが野球盤を知っているが、実は知っているようで知らない秘密を大公開する。また、野球盤にはタイトルに名前を使われたプロ野球選手が2人いる。王貞治? いや、長嶋茂雄か? どちらも不正解。答えは――。

 野球盤は長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督のプロデビューと同じ1958年(昭和33年)に生まれた。数世代に愛され、還暦を迎えたことで、都内では「野球盤ゲーム展」(千代田区『奥野かるた店』で5月6日まで)が開催されている。

 伝説の初代盤から最新の「3Dエースオーロラビジョン」まで並ぶマニア垂ぜんの展示だ。同店の奥野誠子代表は「『巨人の星』モデルのパッケージなど感動的でした。店頭に並べた野球盤を見て『懐かしい!』と立ち止まる50~60代の男性や、遊んでいくカップルもおります」と話す。

 野球盤は実際のプロ野球界と同じ足並みで進化してきた。30代の記者が昔遊んだ「ビッグエッグ野球盤」は、日本初のドーム球場「東京ドーム」の開業と同じ88年の発売。会場で見つけて大人げなく興奮してしまった。

 野球盤の歴史を振り返ってみたい。エポック社宣伝担当の小野百合子さんは、長寿の理由を「野球という男子にとっての普遍的なテーマと、時代に合わせた機能の進化によるもの」と話す。「投げる」「打つ」「捕る」という基本動作は初代から今も変わりはない。翌年の2作目には変化球が採用され(盤下の磁石で球を曲げる)、その進化の速度にも驚きだ。

 そして、代名詞とも言える「消える魔球」は初代から14年後の「BM型」(72年)で開発され、子供たちを楽しませたりケンカさせたりした。ところが“最大の転換期”が訪れたのは、この10年以内と、予想外に最近の話だ。

 その画期的な野球盤を小野さんは「初めて『高反発バット』を搭載して、実際にアーチを描いてスタンドインするホームランが打てるようになった2010年の『野球盤スラッガー』と、ピッチャーの投球が空を切る『3Dピッチング』が初搭載された15年の『野球盤3Dエース』です」と解説する。現実の野球の再現こそ、何より画期的だったようだ。

 また、同社のこだわりは、盤面のイラストや掲示板やスタンドの進化など、野球場の雰囲気の再現にも表れている。

 昔の野球盤になじみのある大人は、最近の野球盤に実況機能までついていることに驚くだろう。対象年齢の5歳児でも安全に楽しく遊べるように、球の飛距離や投球スピードなど細部の調節も徹底しているという。

 80~90年代はテレビゲーム全盛で、野球ファンの子供もコントローラーを握るように。野球盤も存続が危ぶまれたが、次第に価値が見直された。

 野球盤には「キャッチボールよりも親子の距離が縮まった」というキャッチコピーがある。野球好きの父と子供の交流が深まることで、野球ルールを野球盤から学んだ少年も少なくない。20代前半の男性は「運動神経がよくないけど野球が好きな人もヒーローになれる」と魅力を語る。

 これから先の野球盤は「より本物の野球と同じ楽しみ方ができるように進化させていきます」。

 実は…野球盤史上、実在する選手の名前が使われたのは2人だけだという。玩具業界初のテレビCMを放送したのは野球盤で、そこで長嶋が起用された。しかし、作品に使用されたのは、巨人軍前監督の原辰徳内野手(巨人軍原選手のパーフェクト野球盤B型・82年)と現中日の松坂大輔投手(松坂大輔野球盤Jr.・99年)の2人だけ。次に名前が載る偉業を達成する選手にも注目したい。