【鈴木涼美・連載1】お嬢様学校に通っていた私が渋谷のコギャルに?

2018年03月17日 10時00分

ギャル全盛時代を振り返る鈴木涼美氏

【東大大学院出身の元セクシー女優・鈴木涼美「ワタシの値段」(1)】昨年末に流れた安室奈美恵ちゃんの引退は私にとっても衝撃でした。安室ちゃんの「TRY ME」が流行したのが小学校6年生ぐらいのときかな。アムラー現象っていうのが起きていて、安室ちゃんは渋谷のギャルが憧れる対象だったんです。当時、私もアムラーの一人。だから引退のニュースを聞いたときには、なんか時代の終わりっていうか、私も年かなぁなんて思っちゃいました。

 そのころの私は、鎌倉にある私立のお嬢様学校に通っていたんです。小学校から高校までエスカレーターの学校だったんですけど、鉛筆も指定のものじゃないとダメというくらい校則が厳しい学校。中学に入っても当然、ルーズソックスもはけない、茶髪も禁止。それでも、そのころは1ミリでも、安室ちゃんに近づきたい、その一心でした。

 いま考えれば顔も体形も違うんだから、違う方向を目指せばよかった気がするんですけど、そうはならなかったよね。安室ちゃんになるためには渋谷でギャルになるしかないし、ギャルになるには、いまの中学じゃダメ。「黒髪の青春は受け入れられない」って決断して、中学を卒業後、東京の品川にある高校に入学したんです。

 親ですか? 両親ともに大学で先生をやっているんですが、ちょっと感覚がおかしくて、父親なんて私が学校変えるって言ったら「そうか…お嬢様じゃなくなっちゃうんだぁ…」って。そこか!って突っ込み入れようかと思ったくらいです。

 鎌倉から学校まで、1時間半ぐらいはかかったけど、学校は好きで皆勤賞だったんじゃないかな。当然、同じように渋谷にも皆勤でしたけどね。そのころの渋谷って「ランク王国」とか、ワイドショーのインタビューとか何でも女子高生を特集しとけばいいんでしょ、みたいな感じだったし、ギャル雑誌もいっぱいあって、ギャルの全盛期ですよね。いまでこそ渋谷のギャルっていうと藤田ニコルちゃんみたいな、いい子っぽい感じでしょ。しかも清潔感あるし。でも、当時の渋谷のギャルって不良っぽかったんだよね。それに“汚ギャル”って言葉もあったように、なんか汚かった。私も同じ感じだったかな。

 当時は早熟な同級生たちとギャルグループで遊んでいたんだけど、そのころのギャルは買わなきゃいけないものがたくさんあったんですよ。服とか靴とかはもちろん、髪の毛も染めたいし、カラオケも行きたいし、プリクラも撮りたい。でも、親からもらえるお金なんて当時、月5000円くらい。足りないんだよね。

 渋谷では援助交際をする女子高生っていう話もあったけど、「性病怖いよね」ってみんな思っていた。CDショップでオナニーを見せてくれたら1万円くれるっていう自称・雑誌記者というオジサンもそのころの話だけど、「パンツ脱いで渡すだけっていう店がある」っていう話があってね。それがブルセラショップだったんですけど、おカネのために私も――。

☆すずき・すずみ=1983年7月13日生まれ、東京都出身。2002年に慶応義塾大学環境情報学部入学。そのころからキャバクラで働きはじめ、04年にAVデビュー。07年、東京大学大学院学際情報学府に入学する。卒業後、09年4月、日本経済新聞社入社。都庁や総務省記者クラブ、整理部などに所属。13年に修士論文を元にした著書「『AV女優』の社会学 なぜ彼女たちは饒舌に自らを語るのか」(青土社)刊行。14年8月、日本経済新聞社退社。同年11月「身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論」(幻冬舎)を出版し、17年7月に映画化される。著書には「愛と子宮に花束を」(幻冬舎)、「おじさんメモリアル」(扶桑社)。