初の師弟戦に勝利・藤井六段に託された「大師匠の夢」

2018年03月09日 16時30分

感想戦で振り返った藤井六段(左)

 夢は「東海将棋会館」での師弟再戦!“天才棋士”藤井聡太六段(15)が8日、大阪市の関西将棋会館で行われた第68期王将戦1次予選で、師匠の杉本昌隆七段(49)と公式戦初対局に臨み、同一局面が4回現れる千日手となるも、指し直し局を111手で制し、見事に“恩返し”を果たした。注目の師弟対決はワイドショーが全国ネットで生中継するなど大騒動となったが、東海地区の熱烈な将棋ファンは「この師弟が住む愛知県に東海将棋会館を造って対局してほしい」と壮大な夢を藤井六段に託している。

 注目の師弟対決には約70人の報道陣が詰め掛けた。関係者は「関西将棋会館では、公式戦28連勝を飾った時の澤田真吾六段との対局以来の数ですね」と驚きを隠せない。さらに全国ネットのワイドショーで生中継されるほどの注目ぶりだ。

 杉本七段の先手番で始まった対局は、藤井六段にとって昨年8月の豊島将之八段(27)との対局以来となる千日手に。休憩後に先手、後手を入れ替えて指し直しとなった対局を藤井六段が111手で制した。

 師匠に“恩返し”を果たした藤井六段は「公式戦で対局できるというのは、とても楽しみにしていた。対局中はいつも通りの気持ちで、と思っていました。とてもいい経験になりました。奨励会時代からたくさん教えていただいた。これからもさらに活躍していかねばと思います」と話した。

 一方、敗れた杉本七段は涙ぐみながら「私が19の時に師匠が亡くなりました。当時、自分はプロではなかったので、師匠との公式戦はかないませんでした。形を変えて藤井六段と公式戦で対局できてうれしい」と感慨深げに話した。

 杉本七段の言った“師匠”とは、故板谷進九段のことだ。“東海の若大将”と呼ばれ、名人を目指す順位戦で最高位のA級に7期(年)も在籍するなど、トップ棋士として活躍。1988年に47歳の若さで急逝するまで、出身地の名古屋在住のまま、棋士として活動した。

 プロ棋士の活動の拠点となる将棋会館は、東京と大阪の2か所しかない。ある将棋ファンは「公式戦のほとんどの対局が東西、どちらかの将棋会館で行われるので、多くのプロ棋士は関東か関西に住んでいる。それ以外の地域に住むと、他の棋士との研究会もなかなかできずにかなり不利になるが、板谷九段は東海地区に将棋を普及させることを第一に考え、名古屋に住み続けたんです」という。

 志半ばで師匠が亡くなった時、杉本七段は出身地の名古屋を離れ、大阪に住んでいたが、四段に昇段しプロ入りを果たした後、師匠の後を継ぐように名古屋に戻った。そして師匠同様、いまでも東海地区で将棋の普及に尽力している。

「東海地区出身のプロ棋士はほかにもいるが、その多くはプロになると関東か関西に引っ越していく。現在、愛知県に住む現役棋士は、杉本七段と藤井六段の師弟のみ。藤井六段は小学4年で弟子入りしたが、もし杉本七段が名古屋に戻ってなかったら、師匠になってくれる人がいないからプロになれてなかったかもしれない」(同)

 今回は初の師弟対決が関西将棋会館で行われたが「本来なら2人が住んでる愛知県でやるのが自然。でも将棋会館は2つしかないから、愛知県在住だと関西所属になる。東海地区の熱狂的な将棋ファンは『いつかは名古屋に東海将棋会館を造って、そこで対局してほしい』と熱望しているんですよ」(同)。

 一時は「高校進学せず、将棋に専念する」道も念頭に進路に迷いも感じた藤井六段だが、4月から愛知県の名古屋大学教育学部付属高校に通うことを選択した。これにより、最低3年間は、愛知県在住のままプロ棋士として活動する方向となった。

「愛知県など東海地区では、藤井六段に憧れて将棋を始める子供たちが増えている。藤井六段はしばらく愛知県に住むことが決まったから、将棋を始める子供はこれからも増えるでしょう。そんな中からプロになる子が何人も出てくれば、いずれ名古屋に将棋会館ができるかもしれない」(同)

 対局後、杉本七段は「できることならまたもう1回対局したい」と話したが、藤井聡太六段の大師匠に当たる板谷九段と地元熱烈ファンの夢、名古屋の将棋会館での対決が、見られるかもしれない。