夫も「1か月で離婚」に賭けていた

2013年02月01日 09時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(32)】

 

 私にとって、映画「TATOO<刺青>あり」(1982年6月公開)の撮影現場は衝撃的でした。映画界で育った私ですが、それまで出演した作品は大手の会社が製作する作品ばかり。超低予算のインディーズ(このときはATGでした)映画の出演は初めてだったからです。

 撮影期間もわずか2週間弱しかありません。そのため「これで大丈夫かしら?」と不安を感じていたのです。ですが、高橋伴明監督はすべてを素早く、的確に指示しながら滞りなく撮影を進行していきます。当時すでに女優歴は12年でしたが、これほどスピード感のある撮影現場を経験したことはありませんでした。

 後に監督から聞いた話だと、ピンク映画はもっと厳しい条件下で撮影していたとのこと。私と同じ映像の世界に携わっていても、「こうも環境は違うものか」と驚いた記憶があります。主演の犯人役・宇崎竜童さんも本業がミュージシャンとは思えない演技力と理解力でスムーズな撮影をアシストしていました。

 こうして、厳しいながらも充実した撮影はあっという間に終わり、「TATOO——」は公開されました。幸い関係者からも高く評価され、興行成績も上映館が少ない割には大健闘したといいます。私自身も久しぶりに映画製作への情熱が伝わる現場を経験し「女優をやっていてよかった」と思いました。

 それから2週間ほどすぎたころのことだと思います。高橋監督から「会ってほしい」と連絡が入ります。私はてっきり映画についての話だと思っていたのですが…。実際に会ってみると映画の話はほとんどなく、監督の家庭環境や子供のころの話ばかりするのです。最初はいまひとつ何を考えているのか分からなかった私ですが、そのうちに気がつきました。

「早く家庭を築きたい」

「理想の家庭は」…などと遠回しに交際を申し込んでいることを理解できたのです。私自身はそれまでまったく結婚を考えたことはありません。しかも当時は、失踪スキャンダル→復帰会見から1年半しかたっていなかったのですから…。ですが、真剣な表情で理想の家庭像について話す監督を見ていると、「この人となら…」と思えてきました。

 運命とは自分でも分からないもの——。「TATOO——」で出会う以前には結婚することなんて考えてみたこともなかったのに、たった半年で結婚を決めてしまったのです。自分たちでさえも想定外なのですから、芸能リポーターの方々にとってはさらに寝耳に水だったらしく“電撃婚”と騒がれたことは忘れられません。

 高橋監督の知人たちも驚きは隠せず、披露宴の会場で「あの2人が1か月で離婚するかどうか」賭けをしたといいます。私はつい最近まで事実を知らされていなかったのですが、実は夫も「1か月で離婚する」に賭けていたというのです。それでも今年で結婚30周年を迎えたのですから、人間の運命とは本当に不思議なものです。