怪しかった「自主製作映画」出演依頼

2013年01月28日 16時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(30)】

 

 昭和57(1982)年の初春、当時の所属事務所に怪しい出演依頼が舞い込みました。社長が言うには「聞いたこともない監督の映画で、自主製作みたい」。「自主製作映画って…。いったい、何ですか?」。私は疑問を感じつつも、とりあえず話だけは聞いてみることにしたのです。

 事務所にはすでに脚本が届いていて、私はざっと目を通しました。一読すると…。世間を騒がせた大事件「三菱銀行北畠支店人質事件」を題材にした映画だということが分かりました(昭和54年1月26日、大阪の三菱銀行北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、警察官2人、行員2人を射殺。2日後の28日、当時の大阪府警特殊部隊が犯人を射殺し鎮圧した事件)。

 私自身には「極悪非道な犯人が起こした凶悪な事件」といった記憶しかありません。ですが、脚本を熟読してみると、犯人が事件を起こすまでの過程が丹念に書かれていたのです。私は感動しました。世間一般では“残虐”のひと言で切って捨てられている犯人の内面に迫ろうとした、その姿勢に共感したからです。

「この映画の監督は心の温かい人に違いない」。こう判断した私は内心では出演する気持ちを固めて、社長にさらに詳しい話を伺うことにしました。

 監督は33歳の若手の高橋伴明という人でした。それまではピンク映画を撮っていた、とのこと。邦画氷河期の当時、映画監督を志す若者が最初にピンク映画の門を叩くことは常識です。やましい経歴ではなく、私はむしろ映画への情熱を感じました。

 それからすぐに、「自主製作映画みたい」という社長の言葉の謎も解けました。企画そのものが大手映画会社では通らない関係で、今で言うインディーズの映画会社ATGの製作になっていたのです。ATGなら私も知っています。「自主製作ではないですよ」。私は社長にATGのことを説明し、出演する意思をはっきりと伝えました。

 残る問題は高橋伴明監督の作風です。私はにっかつロマンポルノ「ラブレター」(81年)に主演しましたが、プライベートでピンク映画を観賞した経験はありません。もちろん、高橋監督のピンク映画も、です。私はぜひとも自分の目でその作風を確かめておきたいと思い、直近の作品2本を試写させてもらうことにしました。

 2本とも感傷的になりすぎているきらいはありましたが、ピンク映画とは思えないほど人間模様をきちんと描いてありました。「この人なら、きっと人間を丁寧に描いた映画を撮るはずだ」。撮影前にもかかわらず、私はこう確信していました。

 それからは具体的な役作りのために、細かい打ち合わせを重ねました。主人公の犯人役には俳優としての評価も高い宇崎竜童さんが決まっています。そして私の役は——。