プロ野球ヤクルト、阪神、楽天などで監督を務めた野村克也氏(82)の妻で、バラエティー番組でも活躍した野村沙知代さんが8日夕方、東京都内の病院で死去した。85歳だった。歯に衣着せぬトークで人気を博し「サッチー」の愛称で親しまれた。毒舌で知られ、1999年に勃発した女優の浅香光代(89)との対立は“ミッチー・サッチー騒動”と話題になった。死去を受け、同日夜、浅香は本紙に独特な表現で“激闘”を振り返った。

 野村克也氏は8日夜、沙知代さんの死去を受け、都内の自宅に集まった報道陣に2度にわたって対応した。

 息子の団野村氏(60)に支えられて報道陣の前に姿を見せた野村氏は無精ヒゲ姿。「昨日まで(沙知代さんは)シャンシャンしてたんだけど、突然でびっくり。今朝も元気に食事してたけど、昼ごろから問いかけても返事しなくなって…。原因はわからないです。我々からすれば突然死ってやつですよ。昼、一口食べてそれ以上口にしないから『どうしたんだ』って…。最後は何もしゃべれませんでした」と愛妻の異変を語った。

 憔悴した表情で「逝くのは俺の方が先だなって言ってたんだけど、逆でしたね。ずっとそばにいましたから、いい奥さんでした」と声を絞り出した。

 事務所関係者に支えられながら姿を見せた2回目の取材対応では「最後の別れはしたけど、ほとんど(沙知代さんは)意識はなかったです。昨日まで様子変わらなかったから信じられない。本当に人生ってあっけないなあ」とポツリ。

 8日午後2時半ごろ、救急搬送された経緯については「昼にしんどそうだったから『大丈夫か』と問いかけたけど、応答しなかったから救急車を呼んだ。健康に関しては、あいつは問題なかったんで。(結婚して)40年以上になるけど、病気をしたことはなかった」。沙知代さんは搬送先の病院で午後4時9分に息を引き取った。

 結婚生活は「僕も2度目、彼女も2度目ですから、お互いに経験豊富だったし、男心も理解してた。典型的なかかぁ天下。年上ですし、奥さんに言いなりの家庭でした。克則ができるとは夢にも思わなかった。太い絆ができて、今日まで円満に来れたのは克則のおかげです」と振り返った。

 約40人の報道陣を見渡しながら「俺が死んだら、この倍だな! そのときは克則を囲んでやってください!」と笑みを浮かべ、リップサービスもしてみせたが、やはりさみしそうだった。

 一方“ミッチー・サッチー騒動”で宿敵だった浅香光代は8日、都内の自宅で本紙の直撃に応じ、沙知代さんとの秘話を明かした。99年に浅香が出演したラジオで沙知代さんをメッタ斬りにしてスタートした騒動。その1年半前から、沙知代さんが浅香の自宅を訪れるなど、親しい関係だったという。

 浅香は「全然人見知りしない。物おじしない」沙知代さんの性格や言動に驚くことばかり。台所に入って来て「あ、これおいしそうね。お弁当箱持ってきたから、これ入れて」「あ、これウチのが好きだから持って帰る」とテークアウトしたり、浅香の上着を「いいじゃない。ちょっとアタシに似合うかしら? あら、これいいわ」と着て帰ったり、外食に行って「じゃこれ、先生でよろしく」と勘定を払わされたりの日々だったという。

「人見知りしないということは立派ですね。人に対して、私は役者だけどそう厚かましいこと言えないじゃないですか。(沙知代さんの)いいところはずうずうしいところ。正直なんでしょうね」

「踊りたい」という沙知代さんのリクエストで一緒に舞台に立った。

「一緒に踊ったのがせめてものはなむけ。仏様になられたから、安らかにと手を合わせるしかない」とも語った浅香。沙知代さんから名誉毀損で提訴された裁判で2004年に敗訴して以来、会っていなかった。

「いろいろまぁ言えませんけど、ああいう生活の中で育った人だから、人に対して思いやりというのがなかったんじゃないかなと思うんです。もう少しね、思いやりがあったらよかったんじゃないかなと、一点! そう思います」と最後まで“浅香節”だった。

 強烈な個性で一時代を駆け抜けた沙知代さんらしく、夫も宿敵も故人に負けず劣らずの追悼の言葉となった。