南海時代の愛弟子・柏原純一氏 沙知代さんの訃報にショック「とてもお世話になった方」

2017年12月09日 16時30分

柏原純一氏

 南海時代に野村克也監督の下で選手としてプレーし、1977年に監督が解任されたのに伴って日本ハムに移籍、現役引退後には阪神で一軍打撃コーチとして野村監督を支えるなど、何かと野村家と縁の深かった柏原純一氏(65)も沙知代さんの訃報にショックを受けた一人だ。

 克也氏が南海で兼任監督となった70年にドラフト8位で指名されてプロ入り。沙知代さんが克也氏と知り合ったのも同年のことで、柏原氏は「克則(現ヤクルト二軍バッテリーコーチ)が生まれる前から沙知代さんのことは知っている」。

 南海時代には様々な叱咤激励を受けた。一番、記憶にあるのは「純ちゃん、頑張りなさいよ」という言葉だ。当時、野村邸に招かれて何度も食事を共にした。沙知代さんに「パパ(克也氏)はこれだけ現役の時に(練習を)していたのよ」と諭されたこともあった。

 77年のシーズン終盤で克也氏が解任されると球団に反旗を翻し、指揮官と同じロッテへの移籍を申し出た。自身の日本ハムへのトレードが決まるや任意引退覚悟で拒絶したが、最後に首を縦に振ることになったのは野村夫妻に説得されたからだった。

 阪神の打撃コーチ時代は克也氏がホテル住まいだったこともあり、沙知代さんと話をする機会はほとんどなかった。それでも近況は気にかけていた。日本ハムの編成担当として今年10月にフェニックス・リーグを行っていた宮崎を訪れた際には、克則コーチから「(沙知代さんが)だいぶ弱っている」と聞いて心配していた。

「(85歳という)年齢もあったとは思いますが、とてもお世話になった方。とても残念です。謹んでお悔やみを申し上げます」。柏原氏は悲痛な表情で故人との別れを惜しんだ。

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