東大を中退した隻眼のラッパー、ダースレイダー(40)が、ビートたけし本紙客員編集長(70)がトップに君臨する芸能事務所「オフィス北野」に今月から所属していたことが20日、わかった。本紙のインタビューに応じたダースレイダーは、所属した経緯から、たけしへの思い、さらに「このハゲーーー!」発言で話題となった東大の先輩・豊田真由子衆院議員(42)について独自の見解を語った。

 ――オフィス北野に入った経緯は

 ダースレイダー(以下D):Abema TVの「NEWS RAP JAPAN」でオフィス北野所属のプチ鹿島さんと共演してた縁で紹介してもらいました。

 ――ラッパーがオフィス北野とは意外な感じ

 D:ファンには意外でしょうね。でも19歳で音楽を始めた時、普通はデモテープをレコード会社に送るけど、僕はオフィス北野に送った。「Quick Japan」って雑誌で(オフィス北野所属の)浅草キッドの特集やってて「ここだ!」と思って。その時はナシのつぶてでしたが、21年たってたどり着きました。

 ――送った曲は

 D:デビュー曲で、タイトルは「この男、凶暴につき」。もちろん、たけしさんの初監督映画「その男、凶暴につき」から、何の許可もなく取りました。

 ――そのころ、東大生

 D:でも大学は最初から全然行かなくて、途中で「いくら頑張っても卒業できません」と言われてフェードアウトした。こないだ東大卒の天明麻衣子さん(フリーアナウンサー)に「それだと入学した記録も抹消されてるのでは」と言われて。そうなってたら困るから、証拠として学生証は返さずに持ってます。

 ――出身はフランス

 D:生まれてから4歳までパリ、一度帰国して6歳からロンドンに住んでました。10歳で日本に帰ってきたら「風雲たけし城」とか「スーパージョッキー」「元気が出るテレビ」など、たけしさんの番組ばかり見てました。まだ所属してごあいさつができてない。もしあいさつできたら、所属した理由の50%は達成できた感じ(笑い)。

 ――眼帯がトレードマーク

 D:7年前に脳梗塞で倒れて、合併症で左目を失明。30分発見が遅れたら死んでたんです。深夜1時ごろにクラブで倒れたけど、人がいるところでよかった。家で寝てたら朝、冷たくなっているパターンでした。入院中、たけしさんがバイク事故を起こした時に書いた「たけしの死ぬための生き方」って本を読んだら、たけしさんも休養中は眼帯しながら過ごしてたって書いてあって。ポジティブに考えるきっかけになりました。

 ――体調はもう大丈夫

 D:いや、内臓が全部ボロボロ。去年、病院で診てもらったら「5年くらいで死にます」って。別の病院に行ったら「食事と薬を変えたら大丈夫ですよ」と言われ、あきらめずに頑張ってます。糖尿と痛風も持ってる。

 ――たけし軍団ではグレート義太夫も糖尿病

 D:僕、義太夫さんと同じ病院に通ってて、痛風の検査したら「義太夫さんの次に尿酸値が高い」って言われた。僕より悪いのが義太夫さんだけ。「これはやばい」と思いました。

 ――たけしは本紙(20日付)で「豊田真由子や山尾志桜里が出た東大って何なんだ!」と言っていた

 D:2人とも僕より少し年上で、同時期に在学していたはず。でも東大なんてこんなもんです。2人とも法学部だけど、法学部や理学部はエリート意識が高い。中には天才と言える人もいますけど「全人生を勉強にささげて東大に入った」ってヤツは使えないのが多い。世間の人も豊田さんを見て「東大出ても何も変わらないな」って安心したんじゃないですか?

――豊田氏の会見はどう見た

 D:何で議員を続けたいのか? 負けず嫌いだから、バカにしてた秘書の反撃で負けになっている現状に納得いかないんでしょうが「秘書がミスしてパニックに」って、そんなのでパニックになる人はそもそもダメですよね。あと本人は「支持者の人への思い」なんて言うけど、今も変わらずに豊田さんを支持してる人はいるのかな? もしいたら、鉄の意志を持った人でしょうね。

☆ダースレイダー=本名・和田礼。1977年4月11日生まれ。パリ出身。東京大学文科Ⅱ類中退。98年にヒップホップユニット「MICADELIC」のメンバーとして音楽活動を開始。2004年には自主レーベル「Da.Me.Records」を設立。10年に脳梗塞で倒れ、合併症で左目を失明後は眼帯がトレードマーク。現在はAbema TVの「NEWS RAP JAPAN」でメーンキャスター。父は朝日新聞欧州総局長などを務めた故和田俊氏。