無期限の休養申し入れ山村へ

2013年01月14日 08時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(24)】

 

「死んできれいになります」「純粋な私を見てください」…。昭和52(1977)年の春、私はそれまでの人生をリセットするため、睡眠薬を大量に服用しました。今になって振り返れば「本当にバカなことを」と思いますが、このときは本気で死のうとしていたのです。

 当時の私は自分でもゾッとするくらい「死」に取りつかれていました。それも単に「死にたい」のではありません。死ねば、後に生まれ変わった自分に再生できる——。本気でこう信じていたのだと思います。ですから、「純粋な私を見てください」という走り書きには、来世での純粋な私を…の意味を込めてありました。

 幸いにも発見が早く、生きながらえることができました。とはいっても、一度は本気で死を考えた私です。何事もなかったかのように女優業を続けていくことなど、到底不可能でした。少なくとも女優は廃業して、今後のことはじっくり休んだ後に考えよう——。こう決断し、私は当時の所属事務所に無期限の休業を申し入れました。

 そして、向かった先は岐阜県のとある山村。ここには当時、農家が16軒あるだけで本当に静かな環境でした。「女優・関根恵子」時代を捨てて、「人間・関根恵子」として再生するには最適の場所と思えたのです。私の予想通り、この村での時間は静かに過ぎていきます。東京での女優時代とは打って変わって、私のことを魔性の女扱いする人もいません。

 もともと読書が好きな私は、この村で読書に没頭しました。女優業に熱中していたころのひそかな夢は「晴耕雨読」でしたから、その夢がようやくかなったことになります。当時の私にとっては理想的な生活で、不便なことといえばちょっとした買い物をするには3時間に1本しかないバスに乗って隣町まで行かなければならないことぐらいでした。

 女優時代には考えられないような平穏な生活を始めてから1年と数か月が過ぎたころのことだったと思います。私は隣町で買い物するため、バス停に向かって山道を歩いていました。山道にはすれ違う人も追い越していく人もいません。時折、山鳥の鳴き声や、枯れ枝を踏む足音が聞こえてくるだけで静まり返っています。

 そのとき、私の頭の中に「ああ、なんて寂しいのだろう」という思いが急速に湧き上がってきたのです。あれほど女優業を否定し、強引な方法で休養までしたのに…。女優業にまつわるすべての思い出が光り輝いてよみがえってきたのです。芸能界ではしばしば「一度でもスポットライトを浴びたらやめられない」と言われます。その言葉がまさか私自身にも当てはまっているなんて——。