私人・関根恵子までもが“魔性の女”

2013年01月11日 08時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(23)】

 

 昭和52(1977)年の年明けを迎えた直後から、たまりにたまったストレスはピークに達していました。理由はもちろん、いろいろあります。ですが、今になって振り返ってみると“自己否定”が最大の理由だったと思います。

「自分はなんて汚れているんだろう」「生まれたばかりのように、もう一度きれいになりたい」——。当時22歳の私は「女優・関根恵子」としての7年間を全否定。真剣に人生のリセットを考えていたのです。

 なぜ、15歳でデビューしてから7年後に人生の白紙撤回→やり直しを考えたのか? そのきっかけは昭和48(73)年に公開された主演映画「朝やけの詩」にありました。内容自体は高度経済成長下での農村の環境破壊をテーマにした立派なものです。

 ですが撮影中に“ヘア騒動”が勃発してしまったのです。撮影に集中している最中の騒動なので、最初は苦笑するしかありません。私自身にも、しばらくの間はどこか人ごとのような余裕もありました。

 ところが、この騒動に巻き込まれて以来、依頼される役柄は性に対して自由奔放な女性ばかり。さまざまな役柄に挑戦したいからこそ、映画界からテレビの世界に飛び込んだのです。役柄が固定してしまうのは、不本意そのものでした。

 それでも、プロの女優として与えられた役柄をきちんと演じなければ——。一日のうちに何度か湧き上がってくる「このままでいいのだろうか」という疑問を心の片隅に追いやり、自分自身に必死でこう言い聞かせる努力もしていました。

 こうした私自身の葛藤とはまるで反比例するかのように、ヘア騒動後もずっと女優としてではなく、私人・関根恵子までもが“魔性の女”であるかのような報道が相次いだのです。

 身に覚えがないことなら、猛反発するのが当然なのかもしれません。ですが、人間とは不思議なもの。虚偽の内容であったとしても繰り返して強調されると、本当に自分がそうであるかのような気持ちになってしまうのです。

 あまりにも多くの記事に接した結果、私は「本当に私は魔性の女なんだ…」と思い込んでいました。そして、いつの間にか「自分は本当に汚れてしまっている」「生まれたばかりのころのように、きれいになりたい」と願うようになっていたのです。

 日を追うごとにその願いは強くなっていき、ついには「死んできれいになります」「純粋な私を見てください」と思い詰めるようになってしまいました。私の深刻な様子は周囲にも伝わっていたのでしょう。心配してくれる関係者も多かったのですが、もはや私には周囲の声に耳を傾ける余裕はありませんでした。