小池百合子東京都知事(64)が政治家になってからの約25年間が記録された写真集「小池百合子 写真集 YURiKO KOiKE 1992―2017」(双葉社)が14日に発売されることが分かった。東京都議選(23日告示、7月2日投開票)直前の出版となったのは“「都民ファーストの会」の人気取り”ではなく、著者であるフォトグラファー・鴨志田孝一氏(57)が“血液のがん”と言われる難病・悪性リンパ腫の治療で今月末から入院するためだという――。

 この写真集は、今年4月に小池氏が米誌「TIME」で「世界で最も影響力のある100人」に選出されたことで企画された。双葉社によると「当初は5000部の予定でしたが発売前から反響が大きく、急きょ初版部数1万5000部という異例の部数になりました」という。

 著者の鴨志田氏は、小池氏が1992年の参院選に日本新党から初出馬し当選して以来、彼女を撮り続けてきた。

「当時は写真誌『フラッシュ』の専属カメラマン。日本新党が脚光を浴びていた時期で、キャスターから転身した小池さんは写真誌の格好のターゲットだったんです」

 ただ最初から仲が良かったわけではない。「当時は『フォーカス』『フライデー』『フラッシュ』がシノギを削った“3F時代”。きらびやかでスカート姿が多かった小池さんには、編集者から『他より過激な写真を撮れ!』という指令があった。写真誌だけじゃなく、東スポさんも結構、過激な写真を載せてたし(笑い)」

 最初は警戒される立場だったが、その後、何度も取材を重ねるうちに小池氏と信頼関係ができてきた。

「小池さんにとってマイナスの記事になっても、雑誌を持って会いに行く。『カメラマンは撮るだけで、記事は編集者が勝手に書いた』とか言って(笑い)」

 思い出に残っている写真は2001年、当時パレスチナ自治政府議長だった故ヤーセル・アラファト氏と一緒のところを撮った写真だ。

「同行したのは僕だけ。小池さんから『こういうところに行くけど、興味あります?』と聞かれて。検問所から、分厚い防弾ガラスの付いた車に乗り換えてガザ地区に入った。子供たちは普通に遊んでたけど、街には空爆で撃墜された跡とか普通に残っていた」

 ただアラファト氏のオフィスに着くと、長時間待たされたという。「屈強なガードマンが10人くらい立ってた。3時間待っても何の返事もないから『ムリかな?』と思ったけど、小池さんは『大丈夫!』って。結局食事も取らず、10時間くらい待った」

 小池氏が1998年に子宮筋腫で入院した際の写真もある。「アポも取らずに突然、お見舞いに行ったんです。そんな時でも『撮らないで』とは言わない人なんで」

 そんな鴨志田氏は6年前、悪性リンパ腫と診断され、1年間入院した。「回復したんですけど去年再発し、抗がん剤治療をしました。治療のピーク時と都知事選が重なってしまった」

 抗がん剤の副作用で髪は抜け、体重は20キロも減った。しかし小池氏が「世界で最も影響力のある100人」に選出された4月に写真集出版の話が持ち上がった。「集大成として何としても出したい」と思い、抗がん剤治療を一度打ち切ったという。

 写真集発売後の6月末、鴨志田氏は新たな治療法である自家造血幹細胞移植のため入院する予定。この治療法は無菌室に1か月間入る必要がある。感染症により命を落とすリスクもあるが、完治を目指して治療を受けることを決断した。

 都議選直前に発売するということで、“選挙前に人気取りのために出版”と見られかねないが、「すべては僕の治療のためですよ。ホントは小池さんも話題になってるだろうし、発売は選挙後の方がいいけど、僕がいつ病室から出られるか分からないので」。

 そんな思いが通じたのか、小池氏もこの時期の出版をOKした。もちろん印税は一切、小池氏には入らない。

「小池さんは『鴨ちゃんが出すんでしょ? 分かりました』という感じ。注文付けたりしない人なんで、『この写真は使わないで』とかNGは全くない。以前に小泉純一郎さんの写真集を出した時もそうだったけど、大物はあまり細かいことは言わないんですよ」

 発売後はしばらく闘病生活となるが鴨志田氏は「小池さんのためにも病気を克服して、再び現役の写真家として彼女を撮りたいと思います」と力強く語った。

☆かもしだ・こういち=1959年8月1日生まれ。新聞社編集局勤務、出版社の特約写真記者を経て、米国の通信社の特派員として政治を中心に取材。2010年に退社後、JANA通信社を設立。政治家・小池百合子氏を25年にわたり、プライベートも含め撮影し続けている。著書に「KOiZUMi 小泉純一郎写真集」(双葉社)、「希望の桜。3.11 東日本大震災」(講談社)がある。