苦肉の策は「サービスショット」

2013年01月05日 08時00分

【高橋惠子 芸能生活42年回顧録「女優物語」(20)】

 

 人気刑事ドラマ「太陽にほえろ!」(日本テレビ系、1972〜86年)に女性警察官役でレギュラー出演していた昭和48(73)年に、私は後の運命を決定付ける映画「朝やけの詩」に主演しました。実は“元祖プッツン女優”と呼ばれるようになったほとんどの原因はこの映画にあります。

 メガホンを取ったのは社会派の巨匠・熊井啓監督(故人)でした。舞台は熊井監督の故郷・長野県で、牧場経営を夢見る農家の一家が高度経済成長下での大規模不動産開発の陰謀に巻き込まれていく——というストーリーで、私の役は農家の長女。熊井監督ならではの社会派サスペンス映画です。

 これだけだと「どこがどう後の運命に影響するのか」と言われそうですが…。少し時代背景を説明します。この当時、映画産業全体が完全に斜陽化していました。だからこそ銀幕の大スター、石原裕次郎さん(故人)もテレビ業界の可能性を確かめるために「太陽——」の主演を引き受けたのです。

 お金を払わずに見られるテレビドラマに負けないために映画はどうすればいいのか? それならテレビでやれないことをやればいい——。これがもっともシンプルな方法です。とはいえ、60年代末から80年代にかけての邦画はかつてないほど製作費が削られていて、お金がかかるようなことは一切できません。

 そこで、苦肉の策として考え出されたのが「サービスショット」、つまりヌードシーンです。テレビドラマではスポンサーとの関係が考慮されるため、主役のヌードシーンが挿入されることはほとんどありません。ところが映画では主演女優がOKしさえすれば、いくらでもヌードシーンがあっていいのです(実際に東映が「刺激性路線」、日活が「にっかつロマンポルノ」、そして倒産した大映は「レモンセックス路線」を打ち出していました)。

 後にベルリン国際映画祭とベネチア国際映画祭でグランプリを獲得した巨匠・熊井監督といえどもこうした流れを無視できません。「朝やけの詩」にも私のヌードシーンが挿入されることになりました。サービスショットですから映画全体の内容とはまるで関係ありません。とにかく、いかにきれいなヌードを撮るか、それがすべてでした。長野県内でのオールロケ撮影にこだわった熊井監督は、ロケ地も自ら選定。その結果、私のヌードシーンは野尻湖で撮影されることになりました。このシーンは朝、シャワーを浴びるような感じで若い女性が自宅近くの湖を全裸で泳ぐ、というものでした。

 さらに…。なんと私のサービスショット撮影当日には宣伝のため、マスコミを呼ぶことになったのです。社会問題を扱っているとはいえ、内容が地味であることから話題作りを狙ったのでしょう。そして、迎えた撮影日当日。私は150人以上の報道陣を目の当たりにすることになるのです。