老舗ストリップ劇場「浅草ロック座」の名誉会長で、芸能界でも“斎藤ママ”として知られる斎藤智恵子さんが4月28日午後10時5分、胃がんのため東京都台東区の病院で死去していたことが分かった。90歳だった。宮城県出身。葬儀・告別式は2日午後0時半から台東区西浅草の東本願寺慈光殿で。喪主は長男恒久(つねひさ)氏。

 1947年開業の浅草ロック座を斎藤さんは日本一のストリップ劇場チェーンに育て上げた。ストリップ事情通は「斎藤会長は60年代前半、36歳にして東八千代という芸名でストリッパーデビューした。その後、スカウトやショーの企画面でも才覚を発揮し、70年代に入ってからは経営者となり、ロック座を最古参で最大手の日本一のストリップ劇場チェーンにした」と語る。

 故若山富三郎さん(享年62)や故勝新太郎さん(享年65)など、下町出身の芸能人のタニマチとなり、ビートたけし本紙客員編集長(70)とも親交があった。

“流し目王子”こと早乙女太一(25)をいち早く見いだし、9歳のときからほれ込み、我が子のように愛し、育てた。しかし、後に裏切られもした。

 芸能関係者は「斎藤会長の息子が経営するプロダクションに所属させ、他の大衆演劇と差異化するため、衣装などに莫大な金額を投資した。太一の集客力を見込んで、浅草を大衆演劇の聖地とすべく、2007年から老朽化が激しかった浅草の劇場『大勝館』を建て直そうと計画した」と言う。

 ところが早乙女は10年、斎藤会長に事前の相談もなく独立した。契約更新上、法的な問題はなかったようだが、ひと言もあいさつがなかったことで、斎藤さんは「独立は許さん」と激怒し、騒動になった。当時、斎藤さんが公演中の早乙女の楽屋に乗り込み、「チューせい!」と怒鳴り、頬にキスされ「半分許す」となった現場に本紙も立ち会った。それでも、早乙女はそのまま独立となった。

「斎藤会長の落胆ぶりはすさまじかった。太一がいなければ大勝館を建て替えしても興行が成り立たない。建て替えはストップし、経済的にかなりの痛手を負った」(同)

 ちなみに大勝館があった場所は現在、総合ディスカウントストア「ドン・キホーテ」になっている。