型破りなじいさま「茂造」のキャラでおなじみの、よしもと新喜劇座長・辻本茂雄(52)は今年芸能生活30周年を迎え、5月から「辻本茂雄 絆で30周年記念ツアー」で全国行脚する。さらに2009年から続く「茂造」のルーツをひもとく人気シリーズ最新作「茂造の絆 きずな」(4月25日〜5月8日、よしもと祇園花月)も開催する。50歳を過ぎてなお意気軒高な辻本に30年を振り返ってもらった。

 ——国体やインタハイで活躍した元自転車競技選手

 辻本:もともと自転車が大好きで、お母ちゃんの自転車に乗って海の堤防沿いの道で競争してました。中1の時には仲間と淡路島一周。そんな時に中野浩一さんが世界(自転車選手権)で勝ってインタビュー受けてるのを見て「自転車でご飯食べれんのや、賞金もらえるんや」って思って目指しました。

 ——高校は和歌山の強豪高

 辻本:メチャクチャ厳しいですよ。でも、おかげでというか芸能界に入って、縦の関係が厳しいと思ったことはないですね。

 ——実績も残し、競輪選手への道が見えた矢先に腫瘍が見つかる

 辻本:かなりショックで何もする気になれませんでした。そんな時に競輪の顧問の先生が焼き肉に連れて行ってくださって、就職も探してくれてたんです。迷惑おかけしたらアカンので断らせてもらいましたが、いろいろ話をしてくれた。最後はアロチ(和歌山市の繁華街)の「丸高ラーメン」に連れて行ってくださって…。今でも和歌山行ったら食べに行ってます。初心に帰れますね。競輪は今でも好きやし、村上義弘はめちゃくちゃ仲いいんですよ。

 ——仲がいいといえば、藤井隆と仲がいいと聞く

 辻本:「マリーヌ」って呼んでるくらいウチの嫁はんと仲良くて、一緒にデザート作ってくれたり、僕がおれへん時に娘の面倒みてくれたり。娘が生まれた時も駆けつけてくれたんですけど、忙しくて間に合わんかった僕より先に娘を抱いてたから「おまえ、それはアカンやろ〜」って言うて笑いましたね。

 ——話は戻るが、うどんの鉢を買いに行ってNSC5期生の募集を見た

 辻本:お笑いは何にも分からんかったんですけど、当時すごい人気だったダウンタウンさんが卒業したNSC。何か生まれるかなと思って入りました。ただ5期生は稽古場がなくなったと言われて、何も教わらんまま4か月で終わったんです。卒業公演もしてません。

 ——新喜劇入りのきっかけは

 辻本:今でこそ皆さん新喜劇見ますけど、当時は漫才だけ見て帰っちゃう人も多かった。何とかせなということで、今の社長の大崎(洋)さんが新喜劇担当になって(心斎橋)2丁目劇場の若手を入れて若返らせる「吉本新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を始めた。それで入ったんです。

 ——順調に舞台に

 辻本:いやいや。うめだ花月がなくなりNGKだけになって、仕事もなくなった。そこで考えたんです。当時、アメリカ村でアルバイトしてたんですけど、社長がいい人で「入れるときに入ったらいい」と言ってくれた。それで週3回、初日、中日、楽日と舞台を見に行って研究してました。僕はお笑いの才能がないので見るしかない。準備しておくことは常に意識してましたね。

 ——芸を磨いていた

 辻本:花博のミュージカルのオーディションにも受かったんです。でも僕は汚染に侵された人間の役で、黒のつなぎに発泡スチロール製の仮面をかぶって(ロボットみたいに)動くだけ。何の勉強にもならんので(出演していた)元チャンバラトリオのゆうき(哲也)師匠に「前説させてくれませんか」ってお願いして、させてもらいました。自分で積極的に前へ前へやっていかんと何も始まらんので、そこはスポーツに通じますね。余談ですけど、ミュージカルにはジェニファー・ロペスもいたんですよ。後々あんなに売れるとは思わんかったですけどね(笑い)。

 ——仕事に変化は

 辻本:アゴネタがウケて何年か続いたんですけど、やってハケるだけ。それでええんかなと思い、プロデューサーに言うてやめました。仕事は減りましたよ。今でもたまにやりますけど、当時より体重も増えて顔の鋭さもないし、ネタの鋭さもなくなったのかウケないんですよ(苦笑い)。

 ——転機が訪れる

 辻本:そんな時に、間寛平さんの「広島横断ツアー」ってのがあって、主役の人が来れず僕が代わりを務めたんです。やりたい役だったので一生懸命頑張ったら、寛平さんが「辻本のツッコミおもろいで」といろんなところで言ってくださった。そのうちにNGKでの主役の話をいただいたんです。寛平さんは恩師です。

 ——「茂造」の誕生は

 辻本:生命維持装置を作るっていう新喜劇があって、その時にこの髪型で優しい博士の役をやったんです。話自体はまぁまぁスベったんですけどキャラクターはおもろくて、一般社会のストーリーに乗せて改めてやってみたんです。やっぱりウケましたね。

 ——新喜劇ではアキとの掛け合いも人気

 辻本:たまたま僕が祇園花月で出番のあった時に、アキの名前見かけて借金取りをやってもらったんです。「いーよぉー」もアドリブの中から生まれたんですけど、ドカーンと当たって良かった。

 ——ほかの若手は

 辻本:伊賀健二は芝居が好きでね。俳優の宅間孝行と「つじたく」っていう舞台をやってるんですが、彼の舞台の準主役を誰にしようといわれて伊賀を薦めたんです。すごくいい演技してましたね。

 ——昨年はNHKの朝ドラ「あさが来た」にも出演

 辻本:新喜劇の舞台を2回終えてから撮影に行くこともあって忙しかった。でも、玉木宏君や波瑠ちゃんが焼肉に誘ってくれたり、ああいう空気感は楽しいですね。どっかで「新喜劇に通じる面白いストーリーないかな」と思ってドラマは全部録画してチェックしてます。「つじたく」にしても、お客さんが総立ちで終わるってのは新喜劇ではなかなかない。いろんな人とやるのはいい経験になるし、これからもやってみたいですね。

 ——茂造シリーズ最新作「茂造の絆 きずな」を開催

 辻本:一幕がよしもと新喜劇で、二幕が「茂造」が酒蔵で働いていた過去に迫る。6年前に「茂造の閉ざされた少年時代」っていうのがあったんですが、その部分を残して、出てるメンバーを代えたんです。最初はワーッと笑ってもらって、最後は必ず泣いてもらいます。

 ——30周年ツアーも

 辻本:こちらは新喜劇を2時間します。いろんなキャラを演じてきましたけど、3キャラ以上は出そうと思ってます。舞台の仕掛けもいっぱいです。どちらもエンディングは歌を歌って終わります。

 ——今後どうしたい

 辻本:台本を作るのにも3か月くらいかかるし「茂造」の舞台を続けるのは大変。でも、僕の元気の源なのでこの芝居だけはずっと続けていきたいと思いますね。

☆つじもと・しげお=1964年10月8日生まれ。大阪府阪南市出身。和歌山北高校時代、自転車競技の選手として将来を嘱望されていたが、両足に腫瘍が見つかり競技を断念。86年、NSC大阪校5期生として入学。阪上司とお笑いコンビ「三角公園USA」を結成するも89年に解散、よしもと新喜劇に入団する。99年から同座長を務める。新喜劇以外にも、NHK連続テレビ小説「あさが来た」に出演するなど、TVや舞台で幅広く活躍している。